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世の人間社会には相性の良し悪しがあります。 この相性の良し悪しが時には受難を引き寄せ、時として苦難困難から助け出されたりするものです。 そうして人間社会での相性を司っているものが魂の本質であり、ここに同類相通ずる心の法則が作用して様々な人間模様を見せるのであります。 相性の良い人間関係は全てに良好な結果を得易いが、相性が悪い人間関係は中々良い結果を得られない…。 そこには態度や言動には出さないが相互に嫌悪感が沸いて、お互いに近付く事さえ憚られる何かを感じているはずです。 それは嫌悪感の正体が悪意であり悪念であるからです。 悪意は利己的感情が誘発し、積もり固まった悪意の塊が悪念となるのです。 このような悪意悪念が嫌悪感となって人生に受難を呼び寄せるのであります。 人間社会で特定の人と肌が合わないという肌とは何でしょうか…。 人間の身体には肉我(肉体生命)を包み込むように思念想念が取り巻いています。 その思念想念は常日頃から心に思い描いている内容が、雰囲気として滲み出し感じられる人間性(性格)でもあります。 表面的に会話は成立していても、相互の雰囲気が混ざり合う空間には様々な霊的事象が展開しているのです。 人間から滲み出た雰囲気(思念想念)は、その内容に属した様々な霊も憑いていて、悪意悪念には悪霊悪魔が憑依しています。 もちろん心の優しい人間には善霊善神が付かず離れず護り導いています。 霊的事象は魂の傾向性によって、人から湧き出した雰囲気(思念想念)が呼び込んでいるのです。 そうした霊的事象は誠に正直に作用展開して、相容れるものと相容れないものを分かつのである。 水と油のように混ざり合えないものは、やはり相互が敬遠し合うのです。 そうして互いの人間性(雰囲気)が合わない相手とは肌が合わない感性が自然に働くのであります。 この相互の雰囲気は人間関係の裏側を物語る真実として、霊性を開いた人格者たちは日常茶飯事として知っております。 しかし霊性を閉ざした迷妄者たちには決して見えない世界観で、そのため空気を読めない無配慮人間(迷妄者)には、人間関係に大切な心の間合いが採れない人が多いのであります。 |