086  レッテル犯人は心中にあり

 

同じ人間関係に於いても嫌悪感を抱く人と抱かない人が居ります。

こうした違いは個人的な徳性の深浅高低の違いでもあります。

相手の不具合を何処まで許せるかの基準は人それぞれである。

人間だから時には間違いもあると寛容な見方をする人も居れば、人間だから間違ってはいけないと厳しく接する人も居ます。

こうした違いは徳性の高い者が相互の心の中を垣間見れば一目瞭然ではありますが、冷静に言動を見渡せば誰にでも大方の違いは判断出来るはずであります。

しかし厄介なのは窮屈な心で他人にレッテルを貼り付けている人間である。

彼(レッテル貼り人間)は思考回路が単純で明快ではありますが、残念ながら思考が固定化して柔軟な感性を失っているのです。

不特定多数の人間関係では相手を知る上で何かしら覚え易いもので他者を記憶するものですが、レッテル貼り人間は相手の特徴の良し悪しに関わりなく分かり易いレッテルを貼り付けるのです。

その貼り付けたレッテルの内容を精査すればレッテル貼り人間の愚かさが見えてまいります。

要するに彼は自身の心の中を曝露しているのであり、相手の気持ちを察する能力の低さを惜しげもなく現しているのです。

レッテル貼りによるイジメやパワハラ・セクハラ等の社会問題は、レッテルを貼られる側よりも貼る側の方に深刻な悪意悪念が付き纏っています。

悪霊悪魔の類は固定観念を好んで集まってくる…。

しかも自己反省が苦手な迷妄者を狙っています。

相手の気持ちを配慮する人には悪霊悪魔は憑き辛いのです。

さらに鬱者よりも躁者を狙ってくる。

躁者には認知なく社会に放たれた人が多く、しかも企業の上層部に居座る躁者も存在します。

部下を怒鳴り始めたら何時間でも気が済むまで怒る上司が居るのではないでしょうか…。

心ある人としての分別を度外視して利益や成績の為なら手段を選ばぬ社会人が貴方の会社にも居るのではないでしょうか…。

彼らは自身の心を見失った躁者なのです。

そうした彼らこそ固定観念に縛られた悪意悪念の奴隷になっている迷妄者なのであります。

迷妄者は基本的に嫌悪感の権化である。

自分以外に心から信用出来る人間が居ないはずで、それもそのはず迷妄者は自分の心すら既に見失っているのであります。

 

 

 

35 霊性開示 【受難克服編】