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嫌悪感は人間関係を短略的な関わりであると思い込むことで、何時しか善悪分別が白黒採決に片寄ってしまうことで、ますます嫌悪から抜け出せなくなるのです。 善人と悪人が自己判断でハッキリと線引きされてしまっている。 その自己基準が単純に好き嫌いであったり自己都合の良し悪しであったりします。 自分にとって都合が良い人は善人で、自分に都合が悪い人は悪人になっている。 最も気を付けなければいけない人間は、物事の正解は自分だけで、それ以外は全く信用できず、口を開けば他者批判に明け暮れている人間です。 とにかく所構わず誰かの悪口を言っている人は窮屈な心の容量で生きている人間であり、自らの精神構造を客観視で見られない人間であります。 周囲の人々に感謝が出来ない人間は、自業自得の負債人生から浮かび上がれません。 嫌悪の反対側にあるものが感謝の心であります。 感謝の心は只それだけで天の蔵(魂の傾向性)への徳積みになります。 この感謝の心はプラスの念となって、それまでの嫌悪感を相殺しながら人間関係を和解へと導くのであります。 心の法則(因果の理法)は心に思ったものを現象に現すのです。 嫌悪感を思えば嫌悪を感ずるものを自らの心の磁石で引き寄せることになる。 また心に嫌悪感を抱いたまま生きていると、類が類を呼ぶ心の法則に従って嫌悪を感ずる人々との関わりが増えるのです。 嫌いであるにも関わりなく、その嫌いな人々の輪に自ら入り込む運命にあります。 そこに魂の学びがあり、乗り越えるべき克服心境が存在するのであります。 辛さも苦しさも心の痛みも、魂を磨く為の尊い実体験である。 そうであるからこそ嫌いな人ほど心から感謝しなければならないのです。 感謝は相互の和解であり、和解は生命の実相そのものでもある。 日本古来の尊い心は大和魂でありました。 大和魂は感謝の心であり他者配慮の精神であります。 言葉数が少なくても魂で分かり合える霊性民族が神世の時代の大和民族であったのです。 新創世記は神代の時代の復古を目指している訳ではなく、総ての生命が魂の故郷への帰還を果たすべく細々と書き綴られているのであります。 |