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克服しなければならない人生には様々な関門が現れる。 しかしその関門は本来の貴方が誰であり何であるかを想起するための気付きの要素になる。 個人としての悟りは、やがて全体の中での一要素であったと気付くに至るでありましょうが、自らの個性を全体の繁栄の為に提供奉仕することで、始めて自分の存在意義を確信することになるのであります。 そうなると最大最高の人生の学びは現代社会の中での共同生活にこそあり、そこにて現れる様々な障害を乗り越えることで、人生の尊い学びが得られると言うことであります。 地上世界は魂の質を高める(神の子の自覚を深める)ための人生生活学校である。 しかも毎日が本試験であり真剣勝負である。 試験結果は其のまま将来の立場(境遇)を決定し、其処をまたスタートラインとして新たな本試験に臨むのであります。 もちろん成人するまでの学業での学びは予行演習も兼ねてはいますが、地上に生まれたからには自らの環境や境遇に直面しながら、繰り返し現れてくる人生の課題に取り組んで行くことに変わりはありません。 幼い子供の頃から生活苦に悩まされながら生きてきた人も居れば、順調に生き永らえた晩年に大きな課題を背負う人も居る…。 その意味内容の違いには個人差はありますが、自分が直近で抱えている課題こそ最も大きな人生苦として感じられるものでもある。 社会人として世に立つ人々には現行社会は学びの要素が目白押しです。 時代精神の平安期には見られない様々な人間模様を直に観察することが出来ますし、正しい客観視を持てば色々な栄枯盛衰を目の当たりにするはずです。 時代の証人として様々な人間模様を観察して生きてきた人は何を想い何をするべきか…。 心に抱く未来像には何が描かれているであろうか…。 気苦労が多くとも日々の努力を惜しまなかった人であれば、不運に嘆く人々の心の痛みが分かるでありましょう。 一生懸命(正直)に生きているにも関わらず、不条理な現実の辛さに打ちひしがれた人々の気持ちが伝わってくるはずである。 地上社会は人間教育の場所であります。 凡ゆる立場の人間模様から人としての大切な心を学ぶ合う人生生活学校であるのです。 |