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天下布武という言葉を旗印に国家統一を目指したのは、歴史に名が残る織田信長でありました。 武力によって国を治めるという理想は誠に乱暴な方策に映ります。 戦国時代の最中にあって武力は自国を守る為の拠り所でありましたが、それを進んで国家統一の為に使役したのが織田信長であったのです。 しかし彼の死後その天下布武の理想を受け継いだ豊臣秀吉は、武力を金力で使役したのであります。 豊臣秀吉が最も頼ったのは経済力でありました。 ここに武力に勝る金力が示されたのです。 更に豊臣秀吉の死後に国家統一を引き継いだ徳川家康は、様々な知力によって各藩を従えたのでありました。 ここに金力に勝る知力の存在が歴史に刻まれたのであります。 人間は考える生き物である。 力の倫理が物理的な方向にのみ走ったなら単なる蛮勇力となるが、より精神性が高まる方向に力量が向かうなら、人間力は徳力となって略奪破壊を伴わない統治力が発揮されるのであります。 こうした話を踏まえて現代の世界情勢を見回してみて下さい。 戦乱の絶えない国家は武器武力に頼り、威嚇(恐怖心の圧力)によって自国の主張を正当化せんとしております。 また仮初めの平和に慣れ親しんだ国家は経済力に頼り、武器武力を金銭で買って自国の平和を保とうとしております。 武力で他国を侵略する者は、やがて同じ武力で攻め滅ぼされる運命にある。 例え科学力が武器兵器の性能を高めたとしても、武力に頼る人間は武力に支配される運命にある。 世界平和を経済力で購入する者は同じ経済力に人間が支配される運命にあります。 時代は繰り返すと言うが、繰り返されるものは人間心理であり、力の倫理が物理的力量に片寄ったままでは未来永劫、世界に戦乱が終わることは無いでありましょう。 人類は物理的力量に頼る傾向性を打破して、より高尚な精神的力量を目指す時期に来ているのです。 今回の新創世記36巻(天下布武…力量による国造り)では、人間が依存する力量倫理にメスを入れて解剖し、物理的力量から精神的力量へと魂が昇華する可能性に迫るものであります。 |