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(腕力から武力) |
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力の倫理が保たれた状態は、相互の力量のバランス感覚が保たれた状態であります。 このバランス感覚を崩そうとする力が破壊力であり、この論理は力量に溺れた者が最後の解決策として採用する力の誇示を意味しています。 その最たるものは腕力であって、力の強いものが弱いものを威嚇して従え、その力量の違いを見せ付けることで序列を決める世界観であります。 これは人間としての知能が低くとも採用できる解決策であり、その容貌は弱肉強食の理屈である。 知恵ある人間が相互の人間関係を考慮せず、主観的な力量に頼れば魂は動物化に向かうのです。 普段の思いが動物化に向かうのであれば、自己主張を押し通す材料も横暴な力の倫理に依存することになるのです。 何も道具を持たない状態での腕力は破壊力も個人的力量の範疇ですが、何らかの道具を扱う場合の破壊力は、腕力に人間知が加わった破壊力となります。 その破壊力を平和利用するのが倫理社会でありますが、個人的願望成就の為に悪利用された場合は、破壊力を悲惨な殺戮兵器に使ってしまうのも人間の性(歪んだ魂の傾向性)であります。 岩石採掘の為に発明されたダイナマイトを善用すれば人間社会の発展に貢献するのであるが、その破壊力を武器兵器に悪用したのも我欲に狂う人間心理でありました。 生活エネルギーとして発明された原子力を善用すれば人間社会の進化に貢献するのであるが、その莫大なエネルギーを破壊力として悪用したのも我欲に狂う人間心理であったのです。 更に強大な生活エネルギーが今後も発明されるでしょうが、それを扱う側の人間心理の部分を改善しなければ、欲望願望の暴走を抑えられない人類が辿る未来は破壊滅亡の未来であります。 これは規模の大小(腕力・機械力・武力)に関わりなく、人間の心(人格)を自己統制出来なければ、力量は歪んだ願望成就の為の道具(破壊力)として悪利用されるだけである…。 こうした愚策(悪パターン)を人類史は嫌というほど見せられてきたのです。 このままでは人間生活に利便性を与えてくれる破壊力を、人類は歴史上から抹殺消去してしまうでしょう。 破壊力を歪めず善用する為には人間としての高度な智恵が必要であり、扱う側のモラルや、影響力に対する配慮が必要不可欠になるのであります。 |