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(腕試し力比べ) |
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人間が社会生活を営むに於いて、他者との比較は避けられない道理であります。 この比較に於ける質も量も様々な意味内容を含んでいるが、比較力も立派な力の倫理として存在感を現してまいります。 個人的な力量も最初は誰もが未熟な段階から始まります。 自らの技量を何処まで高めるかは人それぞれではありますが、その理想が高いほど力量の蓄えには慎重になり静かな歩みにならざる負えません。 つまり高く遠く確かな処まで行かんとする者ほど謙虚な姿勢になると言うことです。 それとは逆に目標が低く浅い者ほど現在只今の自己に対する評価を気にするのであります。 そのため僅かな技術を得ただけで満悦過信して、その浅はかな技量を試したくなるのでしょう。 腕試しは智恵なき比較力であり、何方が強いか高いかを物理的力量として比較するなら、その判定は相互のダメージ具合から測られるという野蛮な競い合いにならざる負えません。 単に力が強ければ勝者となるのなら社会秩序は必要が無くなり、強者が弱者を隷属する古き時代を蘇らせるだけであります。 力量による比較力も、より高尚な精神的力量に昇華しなければならない。 実際の話で物体を破壊する腕力がある怪物人間であっても、他者の感情を力で捩じ伏せることができても、自らの感情を力で抑えることは難しいはずです。 力というものは外部に向かうことで物理的威力を発揮するもので、精神の内部に向かう力には物理的威圧は掛けられても、精神的力量は目に見えない心力・霊力・神力であるが故に、精神力は体格の大きさや頑丈さではなく、人徳の深まりや愛心の確かさによって力の倫理が変わってくるのです。 ガタイの丈夫な格闘家でも心の痛みに耐えられないものが、身体の小さな子供であっても心の痛みを耐え忍ぶことも有り得るのです。 千人斬りの勇猛な弁慶でさえも小振りな義経には打ち勝てなかった事実は、必ずしも大は小を兼ねるものではなく、強者が見た目の弱者を支配するものでもなく、弱者と見えし者が精神的力量を磨いている場合は、度々強大な強者が打ち負かされるという事実もあると言うことです。 このように比較力に於いても物理的比較力と共に、精神的比較力を深める努力を惜しんではならないのです。 人間力は決して見た目だけでは理解出来ない重複構造になっているのであります。 |