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008 想像力 (解除力調整力) |
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人間にとっての想像力は、創造主から与えられた個性に於ける自由意志に他なりません。 創造主は人間を創造する際に、自らの意志を持ち自分の発想で自由自在に生きなさいと、人間に想像の自由を与えたのであります。 それによりて人間は操り人形ではなく、単体の意思を持つ万物の霊長と成り得たのです。 しかし想像の自由には個人的な責任が伴なうのです。 なぜなら想像は思い描いた内容を現象化する力があるからである。 従って想像力には自己責任が付き纏うのであります。 何でも可でも思えば良いと言うものではなく、他人の不幸や不遇の予想は極力避けなければならないのです。 現代は個人主義が横行して、個性的な発想が尊ばれています。 想像の自由は暴走を続けて、心の中(思いの中)であれば何でもありの様相になりつつあります。 人を傷付けたり陥れたり、暴行姦淫殺人すら日常茶飯事に思い描く人間も多くなりました。 そこに自制が効かない我儘人間が思い描いた念の力に感応して、邪まな悪意悪念が引き寄せられ、まるで自己主張を持った生き物の如く活動を始めるのです。 つまり世の中の事件事故犯罪は、歪んだ想像力の悪用によって誘発しているのであります。 治外法権となっている心の世界にこそ真人間としての倫理が必要である。 それが本来の自分の想いなのか、去来してきた浮遊霊(付加された思い付き)の思いなのか…。 思念想念の精査をしなければ結局のところ人間は浮遊霊(悪意悪念)の奴隷(操り人形)にされてしまうのであります。 心に思い付いたまま何でも可でも其のまま発言してしまう人間にはモラルの維持が難しくなります。 少なくとも後から顧みて言動の自己反省を入れなければ、人間の想像力は魔界の餌食となって使い捨て感覚で悪利用されることになります。 そこに必要なものは発想の意味内容を精査することであり、その内容によっては勇気をもって悪しき想像を解除する意志と、良き想像の集積を調整する力も育んで行かなければならないのであります。 尊い個性の想像力を善なる方向へ昇華することで、人間の想像力は生みの御祖である創造主の偉大な創造力に近付いて行くのである。 そのためにも想像力を善導するべく、解除力と調整力とを個人的に磨いて行くべきであります。 |