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018 物理的力量には限界がある |
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物理的な力の倫理に頼り過ぎた人間は心の世界や霊界の存在を否定すると言うことでした。 それは目に見えない世界に展開する精神的力量には確かさを感じなくなるからです。 霊的能力の確かさは霊性を開いた覚者でなければ実観出来ないことは事実であります。 最初から心象や霊性を否定する現実人間には雲を掴むような話にしか感じられないでありましょう。 しかし現実世界の物理的力量には限界があります。 それは物質世界に形態を持つ質量であるが故の事実であり、質量が有する質量なりの力量が尽きれば其処が物理的力量の限界となるのです。 物質そのものには新たなエネルギーを生み出す源泉がありません。 無尽蔵に湧き出る源泉が物質には無いと言うことは、その物質の力量を維持継続させるためにはエネルギーの補充が必要になります。 それは常に外部からの補充であって、その補充エネルギーにも物質世界の数量的な限界が訪れます。 生活用水に必要な水源地の水を使い果たせば水量も底を尽きます。 田畑の食物も食べ尽くせば無くなります。 しかし水源地の生活用水は水の流転によって雨水として供給されます。 田畑の食物は太陽と大地と大気と水気によって新たな生命を育まれます。 こうした無限供給は神界霊界から降り注がれる精神的力量(霊的エネルギー)によって無尽蔵に提供されているのです。 地上人間の食生活を維持継続させている力は、有限世界の人間だけの力ではなく、神仏の世界から降り注がれる慈悲慈愛の力量が無尽蔵に提供されて食物連鎖を繰り成しているのです。 こうした絶対無尽の精神的力量こそが本来の金剛力に該当します。 そうであるにも関わらず地上人間にエゴが溜まると、神仏の慈悲慈愛の有り難さを忘れて、何でも可でも自前で作れると誤解するのです。 そうして余りにも地上人間のエゴが増えると自然神は呆れ果てて、そんなに自力を吹聴するなら自前で行いなさいと手を引くのであります。 正確には地上の人間側の心が閉ざされて天意との意思疎通が取れなくなる。 すると霊的エネルギーの供給が断たれて的面に日照りが起こり、農作物も正常には育たなくなる。 それで困った人間側が今度は降雨を強く願うため、その思念の集合力でゲリラ豪雨を引き寄せる…。 これも自業自得の心の法則(因果の理法)であります。 |