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022 利己的優越感の危険性 |
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正しい比較力を磨くことは腕力を鍛えることよりも数段、魂の進化生長に役立ちます。 他者の言動パターンを冷静な目で見渡してみると、一つ々々の言動の意味内容がよく理解出来るようになります。 そうすると臨機応変な対応が可能になります。 しかしここで注意が必要なものは自己存在の現状把握であります。 自分がよく分からない者は他人もよく見えない人である。 他者の言動を正しく見透す尺度が無ければ、優柔不断な判断しか出来ないのである。 この尺度こそ自己存在(等身大)の判断基準になります。 物事の正邪を分かつ尺度は人によって微妙に違ってまいります。 他人の罪を許す範囲が人によって違うように、比較対象を好意的に見るか懐疑的に見るかも自己存在の判断基準が全てになります。 つまり徳性が高い人と未だ徳性に無縁な人では比較力(判断力)に実力の差が現れるのです。 この場合の実力の差は視点を何処に置くのか…に関わってくる。 自分の現状がよく分かっていることは評価に値しますが、その視点が自分にあるなら利己的判断となるのです。 その場合の比較力は自力視点(自己中心)が支配する判断基準である。 そこに展開する判断は常に自分との比較に成り易いのです。 自己存在の現状把握が出来ている者の比較検討は、本人が基準であることを忘れなければ、まだ正確性は高いかも知れません。 しかし利己的判断の怖い所は、思い込みによる括り付け(自己認識の枠に無理やり当て嵌める)が目立つようになるのです。 自分よりも上か下か…。 自分を越えているかいないか…。 自分との距離は近いか遠いか…。 いつも思考の起点に自分が居る。 そのため自己本位(正統性)に拘り始めると、他者との比較に利己的な優越感を求めるようになるのです。 そのような人の大きな特徴は、利己的優越感の渦中に居る間は他者批判が多くなり、他者否定も多くなるのです。 その反面は利己的優越感が持てなくなると今度は自己卑下が多くなり、自己否定も多くなるのです。 利己的優越感の危険性は此処に有りまして、優越感と失望感の落差が激しいからこそ、自己存在の尊厳を失墜させた失望感が、人生を自堕落へと引き摺り落とすリスクも大きいと言うことであります。 |