024 主観は比較力を鈍らす

 

こうした羨望欲が加担する利己的な優越感は、比較力を自力視点(自己中心)が支配する判断基準になっていると語りましたが、これを一言に纏めれば比較力に対する主観への依存であります。

主観への拘りは比較力を鈍らす魂の傾向性となり、主観を軸とした世界観は自己完結の閉鎖空間に閉じ籠る偏屈者の自己主張となります。

この主観を超越しなければ真実の比較力が育まれないのです。

自意識に拘り囚われる人の自己主張は窮屈で、堅苦しい言動を押し付ける自意識過剰人間である。

しかし主観で物事を捉えているため、他人の言動の良し悪しは正確に指摘するが、自己自身の言動の良し悪しは自分では見えない(見ようとしない)ことにすら気が付いていないのが悲しい現状であります。

こうした人が自己存在を客観視することが出来れば、可なり広範囲な真実(世界観)が見渡せるようになるのです。

物事の見方そのものは主観で磨いているため精度が高いことも事実であり、その比較力(判断基準)に於いて自己限定の殻を打ち破ることに成功するなら、或る意味で宗教的な悟りの境地(解脱)を得たことと同じ体験を悟得します。

これを言語の世界観から体験すれば哲学的な悟りの境地(昇華)を会得するのであります。

何れの境地も物質的力量を超越して、精神的力量の入口に達した段階であり、其処から先は終わりのない膨大(無限永遠)な世界観が遥かに広がっているのです。

人間の魂の生長には限りはなく果てがありません。

これが人間に転生輪廻を繰り返させる魂の真実でもあるのです。

主観に留まる人間が如何に精密な比較力を発揮しようとも所詮は有限の世界の主義主張に過ぎない。

それは霊性開示を果たした覚者(徳性求道者)からすれば、見栄を張り粋がった子供たちの戯言程度にしか聞こえないでありましょう。

おそらく本当の徳者からは相手にすらされないでしょう。

それは主観に人生を濁らす人々の現状そのものも、当人の魂の途中経過としては尊い経験であり、貴重な体験(通過点)であることが徳者たちには霊性の瞳でリアルに観えるからであります。

主観に拘る人間の比較力は、正に腕試し力比べの心境段階にあるのです。

比較対象に物質世界特有の物理的序列を付けたがる心境は、何処まで行っても現象的力量の範疇に居座る幼い魂の心境段階であると言うことです。

 

 

 

 36 霊性開示 【天下布武編】