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054 愛は人を徳者に育てる |
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自分の事ばかり気にする人は、自己自身に囚われ拘る気持ちが自己限定となって、自らの限界すら判らない人生になります。 主観は強力な尺度にはなりますが、自己視点(主観)は自己自身の現状を推し量れないのです。 人差し指は上手に相手の良し悪しを指摘出来るが、人差し指で自己自身(人差し指)を指し示すことが出来ないのです。 従って自分の利得ばかりを周囲に探しても、自己自身の心的容量が掴めないため、どうしても幸福感覚が定まらないのであります。 自分の事ばかり気にしていた目を周囲の人々に転じて、人のため社会のために何が出来るかを考えるなら、自己視点(主観)は他者視点(客観)となって、むしろ自分自身の現状がより良く見渡せるようになるのです。 誰かの幸せのために何かをしてあげたいと願うならば、それまでの思い(自己への心)が想い(相手への心)に昇華して、やがて想いは愛心(結びの心)へと育まれるのです。 人のため社会のために心を尽くす人は徐々に自我が薄まり、心の狭霧(自我)が晴れ渡ることで、心眼(客観視)は更に磨かれるのであります。 愛の想いは人を徳者に育てるでありましょう。 自我(個性)は捨てるものではなく薄めるものである。 我欲は自我追求の迷妄狭霧を深めて目先の障害すら見えなくするのです。 その我欲を徳者たちは日々の精神修養で薄める努力を怠らないのです。 自分の事であれば自らの限界以前で諦めてしまうことでも、誰かの幸せのためであれば好い加減な処で妥協出来なくなるのです。 それは徳者たちには相手の気持ちが痛いほど良く理解出来るからであります。 そのため自己修行以上に他者救済に身を呈する者は、自己限定の殻を打ち破る程の忍耐力を自ら磨くのである。 それは自分の評価の為ではなく、只相手の幸福の為に身を投じる救済活動を、人生の課題として生きる徳者たちの生き様でもあるのでしょう。 時には外見だけで世の謗りを浴びることもあります。 妬み嫉みから心無い言葉を浴びることもあるでしょう。 しかし徳者の理想は自己評価にあらず。 自らの使命役割を貫く人生そのものが、徳者の生きた証になるだけであります。 |