060 彼らの狙いは常に精神錯乱

 

地上で生きる人間と霊人の違いは肉体が有るか無いかであります。

しかしこの肉体の有る無しは大きな差異点であり、肉体を脱して霊人となれば尚更のこと深く実感される違いでもあります。

肉体生命の死後には霊的世界に赴き、或る程度の悟りを得た霊人は魂の故郷に里帰りして、懐かしい友人知人霊たちと再会を喜び合うのです。

しかし地上世界に対する執着が多いと、その意識(執着)が磁石的作用を成して地上世界に留まるのであります。

執着が多い霊は肉体を欲しがります。

肉体が持つ様々な感覚(欲求)を忘れられないからである。

ここでも忍耐力(生きていた頃の…)が試され、人道的な自己配慮や心の自己統制が出来るか否かを試されるのです。

もはや頼みの肉体が無いため感覚としての心地よさは霊的に感じるしかないので、肉体的感覚を視覚的感性として得ることしか出来ないのです。

それは映画などを見て美味しい食べ物を誰かが食べている映像を見ながら、自己満足に浸る視聴者のような感覚でしょうか…。

映画の中の登場人物が霊人の欲望を満たすような行為を見て、擬似的な満足を得ることと同じ感性であります。

魂が低俗化した迷妄霊となると地上人間の迷いし姿を見て欲望を満足させている…。

更に迷妄霊たちが欲望を募らせると故意に地上人間を迷わせて迷妄材料を量産させ、それを餌(食料)として貪り喰うことになります。

そのため彼ら(迷妄霊)たちの狙いは常に地上人間の精神を錯乱させることである。

人間の心を狂わせて事件事故を起こさしめ、様々な葛藤に迷う地上人間の醜態を見て喜んでいるのが彼ら(迷妄霊)であります。

そうした霊的背景を傍観すれば、魂の傾向性を自己調律出来ない人間が如何に危険人物であるかが理解出来るはずです。

普段から我慢することが出来ない人間が如何に危うい人間であるかが解るはずである。

迷妄霊たちは進んで霊的錯乱を仕掛けてくる…。

その霊的錯乱を耐え忍ぶ霊耐力を常日頃から強めておかなければならないのです。

悪戯に霊能力を欲しがる人間ほど霊耐力に対する意識が薄い傾向にあります。

迷妄霊が注ぎ込む五毒(我欲・欺瞞・愚弄・下劣・傲慢)に心が侵されて、遣りたい放題したい放題の醜態を繰り返すようでは、もはや彼ら(迷妄霊)の傀儡(操り人形)であります。

 

 

 

 36 霊性開示 【天下布武編】