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075 蘇生力を阻害する恐怖心 |
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生命の源泉(聖泉)に蓋をすると生命力が枯渇すると言うことでしたが、この蓋とは一体何なのでしょうか…。 その蓋に該当するものは恐怖心であります。 恐怖心を心に抱くと言うことは、その恐怖の対象(存在)を知覚(認める)すると言うことです。 心に思い描くものは実現する。 これが心の法則(因果の理法)でありますが、存在を否定したい事物に恐怖心を持つと言うことは、その存在を恐れながら認めると言うことになる。 ましてや恐怖心と言うものは繰り返し心に思い描かれ、意識としても強い印象に育っています。 運の悪い人は人生に否定癖がありがちで、何かに疎外されるのではないか、悪しきものがヒタヒタと忍び寄ってくるのではないか、いつか事故に遭うのではないか、重い病に罹るのではないか…。 こうした負の意識を心に繰り返し予想(思い描き)して、その予想を確信するまで意識(思い描き)を重ねるため負念の力も強くなっている。 そうして不幸観念に該当するものが現れると、やっぱり思い通りになったと不思議な安堵を感じるのでしょう。 人間には思考回路の中に落ち着く先があります。 その行く末が何時も不幸観念であると中々人生が浮かばれません。 それは外部から様々な不幸要素が去来していても、それらの不幸要素を呼び込み引き寄せているものが自己自身の心であるのです。 しかも強烈な印象として自己自身が育て上げた負念であります。 こうした負念(恐怖心)は心の中に存在する生命力の源泉に蓋をする主原因であります。 更に負念は猜疑心となって自分自身の不幸観念に収まらず、他者の人生をも不幸に引き摺り込むような疑心暗鬼を思い描くのです。 他人事にも関わらず不幸の予想を繰り返す人も居るはずです。 家庭の中でも可愛い子供が何処かで事件事故に巻き込まれていないだろうか…と。 まだ子供が何も行っていない前から失敗を予想したりしがちではありますが、親としての心配は愛情の側面であるとしても、過度の心配は負念(不幸観念)として心に蓄積され、言葉の力で子供たちの未来に障害を作り出す遠縁になっているのです。 実はこれが生霊(いきりょう)の正体でもあり、誰かを呪う強念が言霊の力となって相手の人生に悪影響を及ぼす遠縁となっているのです。 恐怖心は印象が強い分だけ、心に植え付けられる負念(不幸観念)も強烈な思い描きになると言うことであります。 |