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085 陰陽の分離独立は役割分担化 |
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実相世界は総合体としての創価作用であると言うことでした。 総ての創造の源種(雛型)が既に光明の元で完成された状態で実在しています。 それこそが光明一元の世界であり、愛一元の世界・善一元の世界、美一元の世界であります。 総ての良きものは実相世界に実在し、その究極の源種(雛型)が実在するからこそ、総ての生命は善悪二面の選択肢から迷いを通してでも何時しか善に向かうのです。 誰に教えられなくとも川上を目指す鮭の遡上は、生命の奥底(源種)に刻印された魂の故郷を自然に目指す行為になります。 時に人間が自由意思を行使して迷妄のままに悪事を犯した際に、心の中を一筋閃光が走るように微かにでも突き上げる罪の意識は、生命の奥底に刻印された魂の故郷を自然に想起させるものである。 総合体としての創価作用は総てが光明に始まり光明に帰結するのです。 それに対して個性体としての創化作用は部分的な創造形態であるが故に、途中経過としての影部を表現する場面もあって、それが途中経過であると分からないまま、悪意に組して悪念に終始する迷妄者も出てくるのであります。 個性体としての創化作用は陰陽の二面性があり、個性が強ければ強い分だけ影(陰部)も鮮明に映るのです。 しかしその投影(個性体創化作用)は個性の在り方を仮存在として映し出す影に過ぎず、個性体が光明に対して帰属意識(魂の帰結)を想起すれば、悪影は姿を変えて善影を表すことになります。 もともと光明一元の世界では陰陽の二面性は表裏一体としての同体であり、その総合体の創価作用が下層霊界に現象化する際に、陰陽の側面が役割分担として分離独立した姿であったのです。 そうした陰陽の役割分担も地上世界にまで投影されると立派な個性として確立するため、夫々の立場や処遇に個人的な不満を抱けば、相対的な葛藤が巻き起こるのであります。 それは相互に対立する姿に見えても、よくよく目を凝らして霊性の瞳で精査すれば、同一の源種でありながら投影(環境境遇)の違いや手段方法の違いで、相容れない敵対関係に立つことも地上世界には有り得るのです。 環境(時代背景)の違いや境遇(人間関係)の違いは、個性体(個別意識)を確立する為には有用ではありますが、個別意識を強固にし過ぎると魂の故郷を想起し辛くなることも事実であります。 |