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102 謙虚の力 |
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人生には謙虚さが必要であります。 謙虚さは濁りつつある自我力を薄め、純粋無垢なる生命の実相(魂の本質)に貴方を帰してくれる。 謙虚になると言うことは遜ることではなく率先して事物に当たる姿勢であります。 本当の謙虚さが現れたなら邪な感情が入り込む隙がない。 本来の謙虚さには悪心に惑わされる弱さがないからであります。 人間の弱さの正体は我が身の保身であり、利害や立場に縋り付く依存心である。 人間は地上世界に生まれ出るためには物理的力量にも導かれるのです。 物理的力量に縋り付く思いは、幼い子供が親離れをするまでの養育期間は止む無しであるが、何時かは訪れる親離れの時期が来たなら勇気を振り絞って依存心を卒業しなければならないのです。 それまでは何でも必要なものは黙っていても自然に揃っていたのであるが、それからは寧ろ自分が誰かの幸せの手助けが自発的に出来る人間に成長することが、甘えから親離れをする転換期である。 故に謙虚さは率先垂範に繋がるのであります。 誰かがするから自分は何もしなくても良いと多寡を括ってノンビリしている間に、数々の好機は虚しく自己自身の前を素通りして行ったのであります。 同じ作業を行うにしても人から押し付けられて作業をする者と、自発的に進んで取り組む者とでは、作業性も仕上がりにも違いが出るし、少なくとも同じ時間を過ごしたにも関わりなく、自発的に作業に臨んだ者の魂に流れた生命の価値は、其のまま精神的力量として人格形成に役立つのであります。 謙虚の力は主に時間の経過に寄り添って現れる精神的力量であります。 控目や遠慮は他者配慮が出来る愛の心で行う人には謙譲の美徳となるが、他者配慮が出来ない者の控目や遠慮は単なる失望怠惰に他なりません。 愛心を込めた他者配慮は自発的譲歩であるが、利己心や我欲心を優先する者の自称他者配慮には、相手の気持ちを配慮する想いが同居する余地は無いのです。 迷妄者が抱く思いは自己都合優先の自己中心的思考(想いではなく思い)であるからです。 謙虚の力量は三界(実相世界・神霊世界・現実世界)を通して偉大な力量を発揮します。 それは個我心に拘る物理的力量が実相世界から振り下ろされる光明(精神的力量)に太刀打ち出来無い事実が如実に物語っている。 その絶大なる威力は現象化した十握剣を刃毀れさせた草薙剣の神力に例えられるのであります。 |