105 積極の力

 

それでは最後に積極の力について幾許かの説明を残します。

融和の徳性が謙虚・調和の徳育の下積みが必要であったように、積極の徳性も謙虚・調和・融和の徳育が下積みとして日々磨かれていることが、積極の力を発揮する為の最低条件であります。

なぜなら積極の徳性は光明思想の実相真理を其のまま発揮する神力であるからです。

実相世界から創造主の慈悲慈愛の光明が溢れ出したなら、もうそこには悪意悪念が存在することは不可能となり、悪霊悪魔も介在することが出来なくなるのです。

強烈な光が現れたなら暗闇は跡形もなく消滅するように、真実の光明の前に、闇は速やかに姿を消すしか手立てはないのです。

その光明を呼び出し引き寄せるのが神の子の自覚を深める人間であります。

神の子の自覚の中核は自我の純粋化であり、これは個性としての徳性(色合い)を無くすと言うことではなく、物理的な彩色を純粋化して限りなく透明に近付けることを意味しています。

透明に近付くと現象的な視覚には見えなくなるが、其処には霊的理念(純粋個性)のみが残るのであります。

その霊的理念(フィルム)に光明(光源)を通して現象スクリーンに善性を映し出すのであります。

この時に個性体としての自我が魂に根強く残っていると、霊的理念(フィルム)に張り付いた自我(個性色)が濃過ぎて、そこに光を通しても現象スクリーンに映し出される映像には濃い影(自我)が映るのであります。

この濃い影(自我我欲)が他者の境遇にも翳りとなって、様々な社会問題を巻き起こすのです。

本人が良かれと思って投げ掛けた言動が、自我の強さ故に自己都合優先であったり、見返りを求める商売善行であったり、強権的な自己倫理強要であったり…。

つまり自己本位(自己都合)のみの善行は社会に混乱を巻き起こすトラブルメーカーとなりがちであります。

かつて光明思想を誤った解釈で新派として独立した宗教団体がありましたが、新教祖となった中心人物は反省も浄化も必要がないと誤った教えを弟子たちに説いて、社会に濃い自我の影を落としたのでありました。

そのため彼(新教祖)は罪の重さ(自我の濃さ)に本人自身が耐え切れなくなって病の床に着き、病死の後に深い闇の淵に自ら落ちて行ったのであります。

光明思想は苦難困難を乗り越える大力量が発揮されますが、基礎研鑽の足りない光明思想は、その自我の濃さ故に心の法則(因果の理法)に従って、同波長の闇の淵に引き摺り込まれる運命にあるのです。

積極性には正しい方向性が重要であり、時折り足取りを自己チェックして軌道修正する小さな努力が大切になります。

積極の力は、謙虚・調和・融和の徳性が基礎研鑽として磨かれていなければ正しく扱えない諸刃の神剣であります。

神剣は切れ味が鋭い分だけ扱う人の徳力が弱いと、周囲も傷付けるが自己自身も傷付けるのである。

そのうえ間違いに気付かなければ当然のこと傷口も深いのであります。

 

 

 

 36 霊性開示 【天下布武編】