|
106 行動力の鈍重化 |
|
日本という国のみに関わらず、世界各国の歴史を振り返り見れば、天下布武(力量による国造り)が繰り返し綴られて来た歴史でありました。 しかも其の力量は地上世界に在りがちな物理的力量(力の倫理)であったのです。 取り敢えず話し合いはするが、双方が利己的な主張を押し通さんと我を張ることで何時も交渉は決別するのです。 詰まるところ最後に民主主義の議会制度が採択してきた解決策は、原始的な力の倫理(腕試し力比べ)でありました。 文明が高まり科学が進化しても根本的人間観が原始的なままでは、力量の大きさ多さで威嚇し力尽くで相手を従わせようとするのであります。 人類の歴史は文化文明の高まりや科学技術の進化などは、さほど人格形成に役立てて来なかったと言うことです。 結局のところ根本問題は個人の精神面に存在するのであり、心の法則(因果の理法)や魂の傾向性に対する意識転換(自己内照・反省回顧)を怠ってきた結果が、現代社会の諸問題(事件事故)となって現れているのであります。 例えれば人間の心の中には五人の兄弟が居るようなものです。 長男は無責任無実行者(ものぐさ太郎)で、誰も見ていなければ何もしない怠け者であり、誰からも見えない状態に身を隠すことに長けた隠れ蓑の愛用者であります。 次男は無責任実行者(とりあえず次郎)で、行動はするが責任は採らない気分屋であり、物事の上っ面しか見ようとしない其の場しのぎ人間であります。 三男は有言無実行者(言うだけ番長)で、的確な助言はするが本人は何もしない指図屋であり、小さな責任さえ避けて通る遠吠えの隠者であります。 四男は迷言大混乱者(めいわく大将)で、他者を困らせるような迷言を吐いて周囲を混乱させる迷妄者であり、自己都合・自己中心を恥ずかしげもなく表現するトラブルメーカーであります。 五男は有言実行者(おおやけ人間)で、責任を持って普段から行動する常識人であり、だらしない兄達を反面教師として見て育った賢い公私区別人間であります。 こうした五人の兄弟を総ての人間は心に内包していて、何番目の兄弟に最も意識が繋がり易いかを自己内照して反省回顧すれば、現状での自己自身の行動力の鈍重化(行動力を鈍らせている要因は自我の汚泥累積による…)を自己チェックすることが出来るのであります。 |