108 純粋無垢なる克己心・向上心

 

悪しき習慣を心改めて良き習慣に変えて行こうとすると、必ずと言って良いほど障害などの邪魔が入るのであります。

しかしその障害は、自己自身の内に潜在する魂の傾向性(負の遺産部分)に感応して現れてきた最初の関門である。

その障害を自発的に乗り越えた時に、負の遺産は教訓という名の経験値(克服体験)になるのです。

そうして幾度かの障害を乗り越えつつ、心身共なる強固な忍耐力(霊耐力)も身に付くのであります。

軟弱な精神のまま真正面から苦難困難に体当たりしても太刀打ち出来ないのであれば、徐々に力量を磨きながら機会を待つことも智恵ある選択の一つである。

一時期は退路を選び逆走しなければならない場面も人生には遭遇するでありましょう。

それでも機会を待ちながら徳性を磨く貴方であれ…。

古事記の神話では伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰る時に、数々の誘引迷妄霊が追い掛けてきたのであります。

その黄泉の迷妄霊を後ろ手に十握剣で払いながら伊邪那岐命は逃げて行かれたが、迷妄霊たちは津波のように押し迫ってくるのです。

そこで伊邪那岐命は身に付けていた髪飾りを迷妄霊に投げ付けたなら髪飾りは野葡萄となりました。

その野葡萄を迷妄霊たちは奪い合って食べたと言うことです。

葡萄は何処までも繁茂する生命力の象徴であり、迷妄霊たちは人間の生力を食らって生き長らえているゾンビでもあるため、伊邪那岐命が投げ付けた野葡萄を奪い合って食べたのであります。

つまり装飾(物理的力量)などへの依存心を投げ捨てなければならないのです。

更に伊邪那岐命は櫛の歯を折って迷妄霊たちに投げ付けたなら櫛の歯は筍となりました。

迷妄霊たちは我先にと筍を奪い合って食べたのです。

筍は生命がグングンと育つ生長を象徴していて、迷妄霊たちは人間の生気を食らって生き長らえているゾンビであるからこそ、伊邪那岐命が投げ付けた筍を奪い合って食べたのであります。

これも形態(物理的力量)への依存心を投げ捨てなければならないと言うことであります。

更に伊邪那岐命は追い掛けてくる迷妄霊たちに、黄泉比良坂に実っていた桃の実を三つ取って投げ付けたなら、迷妄霊たちは恐れて悉く逃げ帰ったと言います。

桃は実相を求め真理を求める純粋無垢なる克己心・向上心の象徴であり、新たに生まれ変わる強き覚悟でもあります。

人格形成時に度重なる障害が道を立ち塞ぐけれども、中途半端な所で諦めてしまわないように、徳性開発の道は永遠であると覚悟することで、迷妄霊たちには既に付け入る隙が無くなるのであります。

貴方も物理的力量依存から精神的力量追及に心的転換をして、勇ましく結びの大道を歩まれますように…。

この言葉を持って新創世記36巻(天下布武…力量による国造り)の最後のメッセージにさせて致だきます。

 

 

 

 36 霊性開示 【天下布武編】