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005 影響力の共有(相関関係) |
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人間関係は相互意識の総和で展開します。 何方か一方のみの意識だけでは寄り合い廻り逢うことは難しい問題である。 大嫌いな相手と関わりを持たざる負えない人も多いが、嫌悪の意識が心の中に存在すること自体が、相手を嫌悪するに等しい人間として存在を認める意識を、自分の心の中に抱いていると言うことであります。 心の法則(因果の理法)では心に認めるものは形となって現れると説かれている。 好きも嫌いも心に認めるという印象過程は同じである。 しかも嫌いという嫌悪感は尚更に強く心に印象付ける…。 かくして悪業は魂の傾向性となって転生輪廻を運命付ける一因になっているのです。 こうしたことから人間関係は良くも悪くも相関関係で彩られているのであります。 故に責任転嫁からは根本解決は得られないと言うことであります。 たとえ相手に9割の過失が有ろうとも、此方に1割の過縁を認められるなら、罪過はフィフティ&フィフティであると受け入れられるのが、真理に精通した徳者の姿勢である。 徳性を磨いている者は魂の傾向性を善展開させる努力を日々の精進としている為、悪因縁が人生から徐々に減少するのです。 自らの常日頃からの些細な言動が積み重なって因縁という心の磁石が形成されることを、徳者たちは身を以て自覚しているのであります。 聖者は心の中に一点の曇りも許さない…。 そうした真なる聖者の前には悪意を抱く迷妄者が近寄る術もなく、たとえ悪人が近寄ったとしても眩い霊光(オーラ)に照らされて憑依悪霊は退散し、悪人自らが改心するか其の場を立ち去ることになるのです。 現代の地上世界に生粋の聖者は見当たらないが、日々努力精進を重ねる徳性求道者は隠者の如く世界各国に潜んでいる…。 相関関係とは言葉を変えれば影響力であります。 良し悪しに関わりなく人間社会は感性の響き合いで展開している。 世の中に悲惨な事件事故が頻繁に起こるようなら、自分の心の中にも悪意に通ずる思念想念が潜んでいないかを精査する貴方であれ。 他人を見下したり嫌悪の枠に嵌めて何時の間にか既成概念となっていないか、時折り立ち止まって心を顧みる貴方であれ。 社会の共通概念は良くも悪くも自らの意識も加担している事実を知るからこそ、自己反省をする心の余地が生まれるのであります。 |