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008 龍宮界の真相(綿津見神) |
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最後に疑問が出る部分は龍宮世界が如何なる世界であるかと言うことでしょう。 その詳細については次章に譲るとしても、龍宮世界が現象的な何処かの場所ではないことは確かであります。 浦島太郎が亀の背中に乗って海の中に入って行った話は御伽噺の域を越えないが、海の奥底を題材にした浦島太郎伝説は或る意味で的を突いているのであります。 海とは産み出しのウミであり、現し身のウミである。 全ての現象物の根本に当たり、総ての事象の根源に当たります。 つまり現象的な海原の中に存在する世界ではないが、総ての人間の心の海原(心象世界)に実在する神霊世界であります。 その龍宮世界を中軸で統べる統治神は綿津見大神(わたつみのおおかみ)でありまして、数多の女神(乙姫)が大調和の平穏なる霊的磁場にて魂の清らかさを更に磨いておられるのです。 そうした龍宮世界に出入り出来る魂は、龍宮世界の住人と同等の清らかな魂を磨いている方のみである。 しかも物質世界の概念を超越しなければ、龍宮世界の入口にすら立てないのであります。 要するに現象的時間に惑わされず、現実的空間に意識散漫とならず、時間と空間の接点に魂を超入(融け込ませる)することで始めて門戸が開く精妙なる神霊世界である。 やはり美しく清らかな女性神霊が多いが、気高く爽やかな男性神霊も神職を司って居られます。 そうした龍宮神霊世界で如意宝珠御霊は創造された神宝なのです。 正面切って闘うための刃ではなく無駄な闘いを回避する為の地返しの珠であります。 地返しとは知を返すと言うことであり、何ら引っ掛かりのない純粋無垢なる心(如意宝珠)であったなら、相手から突き刺してくる悪意悪念悪口憎悪などが、素通りして相手に帰って行くことになるのです。 何故なら相手が発した悪波動と最も波長が合致する悪波動は、その悪波動を発した本人自身に他ならないからであります。 これが自業自得縁廻であり、悪業は廻り巡って必ず悪業発信者に帰ってくるという道理である。 それと同じ理由で善業も廻り巡って何時かは必ず善業発信者に帰ってまいります。 そのため善果(見返り)を強いて望まなくとも、他者に幸福を与える人の心は既に幸福な人生が約束されているという道理でもあります。 |