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018 底筒神中筒神上筒神 |
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古事記の神話によりますと、住吉大神は伊邪那岐大神が黄泉国から帰還した際に、御身の禊祓いを行った時に現れてきた、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神を総称した御神名であります。 『私は誠に穢れた国(黄泉国)に行っていた。身体の禊祓いをしなければならない…』 そう言って伊邪那岐大神は禊祓いを始めたのです。 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓いをされたと古事記には書かれております。 筑紫と云うのは八方(全て)に手を尽くす心であり、自分の利得の為ではなく他者の幸せの為に、今現在の自分が出来る範囲でお役に立ちたいという想いであります。 日向とは日に向かうと言うことであり、ともすると悪意(闇)に傾き兼ねない不条理な意識を、努めて善意(光)に向かせるという心掛けであります。 橘の小戸とは立ち放つ音であって、五十音の縦の端にある陽音(あいうえお)を立ち端の音として古事記には記されているのであります。 更に阿波岐原とは阿(あ音)を中軸にして縦に陽音(あいうえお)があり、横に陰音(あかさたなはまやらわ)があり、阿(あ音)は正に縦横(時空間)を枝岐ける中核であると言うことです。 因みに陽音とは其の音(言葉)だけでハッキリと発音出来る言葉であり、ア行(あいうえお)は全て陽音になります。 それ以外(カ行以降)は其の音(言葉)だけではハッキリと発音出来ない言葉なので全て陰音になるのです。 例えば『か』と発音する為には、『か』の音から陽音である『あ』の音を引き出して発音しないと、ハッキリとした『か』の言葉にならないのです。 その他の陰音も全て同じであり、陰音のみではハッキリと発音出来ず、陰音の中から陽音を引き出して発音しないと、現象的な言葉として成立しないのであります。 日本人は陽音を大切に扱ってきた民族である。 その為日本語には子音だけで終わる言葉は本来は一つもないのであります。 これは人間の肉体を生かす為には其処に魂が宿らなければならないことと同義であるのです。 魂の宿らない肉体は屍である。 肉体に魂が宿って肉体の中から精神が引き出されてくるからこそ、一人の人間としての個性が躍動するのであります。 阿字は光明であり大日如来の本体であるとも言われておりますし、旧約聖書でも最初に神が光あれと言いたまいけれは光ありきと、光(陽音)を最優先に創造された経緯があります。 伊邪那岐大神の禊祓いは、こうした橘の小戸(陽音)の阿波岐原(光明)にて行われたのであります。 |