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020 鎮魂は大自然の法則 |
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人間社会は複雑な人間関係が絡み合い、自分の思惑道理に行かないことの方が多いのが現状です。 それが数多の個性が社会生活を共有する場面でのジレンマでありストレスでもあるのでしょう。 しかしそんな状況下でも我を押し通す利己的人間も多いのです。 ここに思い込みや我儘体質が心に蔓延っていると、自分だけの主張を押し通す為に、他者の意見を頭ごなしに否定する自己中人間も増えてまいりました。 そうした迷妄者の言葉は会話ではなく、一方通行自意識の投げ遣り自己主張になっています。 会話とは意識のキャッチボールであり、自分が言葉を投げれば相手が受け止め、相手が言葉を投げれば自分が受け止め、それぞれに相手の言葉を吟味しながら、お互いの相違を歩み寄せることが会話の本分である。 ここに白黒分断採決しか出来ないような人間は、自己主張を曲げるような柔軟な精神は持ち合わせておらず、さらに自己反省が出来ない人間は、常に自分側が正しいと言うことに疑いの目を挟む心の余地が無いのであります。 そうした人間が多数集まって資本主義社会を運営すれば、多数決の採決が利己的感性の烏合の衆でも政権を奪取してしまうのであります。 我が強く、勢いだけの押しの強さがあれば、人を蹴落としながらでも出世してしまう世の中では、やはり何かが間違っていると言わざる負えないのです。 こうした現行社会で天職を身に宿した文志たちは、迷妄我欲者に翻弄されることが多いはずです。 何故なら迷妄我欲者は悪霊悪魔の手先(迷妄道具)として利用されて、救世の文志たちを混乱させんと企てているからであります。 救世の文志の皆さんには大変に心苦しいが、どうか打たれ強い精神を身に付けて致だきたい。 彼ら(迷妄我欲者)は自分の迷妄言動の意味が余りよく分かっていないのです。 乱れた心の波立ちを抑えるためには鎮魂が必要不可欠であります。 鎮魂は大自然の法則である。 自然界に流れる大調和の大神霊意識に波長を合わせて、心静かに反省回顧を繰り返すことで、重き荷物(拘り囚われ)は下ろされ、堅き呪縛(偽りのプライド)は解き放たれ、全ての物質的迷妄価値観は其の重荷に耐えきれず、自ら大地に身を落として土塊に帰るのであります。 そうして魂は自由自在な神霊世界に里帰りして、再び地上に戻れば心は軽く、言葉は優しさを極めて人格も高まっているのです。 こうした一連の鎮魂行法にも如意宝珠御霊が正しく導いてくれるでありましょう。 |