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021 堅実な中津瀬の精神 |
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古事記の神話の中では伊邪那岐大神が黄泉国から逃げ帰り、いよいよ御身の禊祓いをされることになりました。 伊邪那岐大神は禊祓いをされる最良の条件(環境)を中津瀬に見い出されたのであります。 『上津瀬は瀬早し、下津瀬は瀬遅し、吾は中津瀬にて禊祓いせむ』 こう仰せられて伊邪那岐大神は中津瀬に入って行かれたのです。 中津瀬とは仏教で言う所の中道精神であり、儒教で言う所の中庸精神に該当します。 難行苦行で肉体や精神を酷使することが良いものではなく、柔行楽行で肉体や精神を甘やかすことも良いとは言えず、自分自身の現状に合った程良い条件(環境)に身を置いて、コツコツと地道に魂を磨く道を選ぶと言うことであります。 謙虚さと言うものはネガティヴではない。 ネガティヴでもポジティブでもない。 陰極(消極)と陽極(積極)を併せ持ち、それらの根源に立ち還り、臨機応変に使い分ける技量こそが、ネイティヴ・シンキング(根源的な謙虚さ)であります。 実相世界から溢れ出してくる光明(生命力)を、適材適所に兼ね合った使い分けを自発的にすることが、謙虚の徳性を体現する者の徳高き生き方であります。 但し自分の現状にマッチした中津瀬精神(中道・中庸)が、如何なるものであるかを知ることは、それだけでも宗教的な小悟の境地に値するはずです。 自分の事が解らない人間が、本来の中津瀬を見い出すことは誠に難しい現実です。 現在只今の限界が何処を指すのかを知っている人間も皆無でありましょう。 そうした観点から見ても、中津瀬の精神ほど難しいものはありません。 しかし見い出し辛い中津瀬(中道・中庸)であるからこそ、人間力を磨く最良の道となるのであります。 また見い出し辛い中津瀬であるからこそ、常なる人生の課題が提示されるのであります。 その人生の課題は確実に人間の魂を生長へと導くのです。 しかも明日への希望が常に牽引車となって、次の一歩を踏み出させるでありましょう。 遥かに高く遠大なる道を行く者は日々の歩みが慎重になるのです。 フルマラソンを全力疾走で駆け抜ける無謀は、単なる心(智恵)の窮乏に他なりません。 自分の現状に最も兼ね合った走歩調を微調整する貴方であれ…。 その微調整を工夫する部分に、人格形成に繋がる徳性段階が見え隠れするのであります。 |