023 転生輪廻は御魂磨き

 

心の浄化(反省回顧)が行われたなら其れで終わりと思うのは早計であります。

地上社会には驚くほど多岐に渡る経験値が存在するのです。

誰もが何時かは、長いようで短い生涯を終えるであろうが、人間が一生涯で成し得る成果は其れほど多くありません。

生涯に渡って続けられた努力精進も、地球史45億年、人類史数億年のボリュームからすれば、一人の人間が打ち立てた偉大な功績も、鍾乳石を立ち上げる一雫の水滴にも満たない経験値であります。

永遠の生命を創造主から戴いた人間は、魂の無限生長の余地(可能性)まで同時に与えられているのです。

こうした事実が人間の魂に自発的な転生輪廻を促がす理由になっております。

人間は創造主から戴いた生命(個性)を物質化してはならない。

肉体を単なる偶然の産物としてはならない。

此の世界に偶然に派生するものなど本来一つも存在していません。

全てが必然の創意から派生して、総てが創造主の大御心の現象化であります。

そのため魂が穢れたなら自発的に浄化することが神の子の証明になるのです。

心得違いをして悪を助長する者は自ら個別化に向かい、魂の故郷から疎遠となった孤児のような思い違いをしているのであります。

そうした自称孤児たちを救わんとする創造主の慈悲慈愛の想いが住吉大神を葦原の中津国に派遣させたのであります。

個生命としての自由意思は善悪選択肢の自由でもあります。

本来の善悪は、創造主の大御心に向かう心が善であり、それとは逆方向に向かう(迷う)心が悪となります。

つまり善悪は白黒採決で前後裁断するものではなく、神の心に近いか遠いか、その純度や濃度が現状の度合いとして何処にあるか…。

こうした現状での魂の傾向性が何処に居て、何方の方向に向かっているか…。

こうした現状把握を個生命自身が自発的に反省回顧する処に、本来の自由意思が発揮されなければならないのであります。

こうしたことから逆発想すれば、たった一つの小さな命でさえ創造主は決して見捨てることは無いと言うことです。

住吉大神は、そうした創造主の大御心の触手となって、総ての生命の心の浄化を見守り導いて居られるのであります。

 

 

 

37 霊性開示 【如意宝珠編】