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029 原点回帰は神の子の真骨頂 |
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徳性を磨けば霊性は開かれ、想いが心根に至れば優しさが蘇る。 人間は神の子の自覚を取り戻せば原点に帰り着くことが出来る。 正に原点回帰は神の子の真骨頂であります。 迷いの中にある人は正しい自己反省が出来ません。 それは自分の心を見失っているからです。 最初は人のために生きようと決意して船出した人生であったとしても、何時の間にか自分のための人生に置き換わっているのです。 他人の気持ちを配慮する心が失われて、自分の気持ちだけに正直に生きることが人間らしいと思い違いをするのであります。 想い(相手の心を察する)が思い(自分の心を優先する)に摩り替わってしまっている。 こうした流れは我儘から始まるのである…。 幼い子供の無邪気な我儘は周囲の大人を癒すこともあるが、年齢が長じて一社会人となった人間が、子供のような我儘を優先すれば、我欲の強い迷妄人間が出来上がるのであります。 人の言葉を聞かない(聞こうとしない)マイペース人間は、世の中のトラブルメーカーとなって社会を大混乱に陥れるのです。 自己主張が強く独占欲に満ちた人間が現行社会を牛耳っている。 こうした世の中を放置したのは誰であるのか…。 それは紛れもなく利益追従に走った人間の浅はかな心であったのです。 自分の利得のみしか興味が沸かない人間になったなら魂は心の鎖国状態である。 他者との交流を嫌う理由が、自己主張を押し通すための我儘であるのなら、人間は何処まで行っても真の幸せから程遠い人生になるでありましょう。 自分だけを表現するものは自分一人さえ守れないのです。 それは自己自身の心が正しく見えない状態であるからです。 自己反省を重ねて自己存在の在り方を見つめ返した時に、利己心に執着する心は醜い人間に映る為、恥ずかしくも敢えて自己を顧みることが出来なくなるのでありましょう。 こうした状況を客観視すれば、自己反省は人間の心の礎となり、原点回帰は神の子の真骨頂となるのです。 醜い自分を見つめ返し改善する勇気は、苦しいながらも人格形成に明かりを灯すのであります。 黄泉国に赴いた伊邪那岐大神が勇気(叡智)を持って黄泉国の惨状を御覧になった…。 その勇気が伊邪那岐大神に魂の大浄化(原点回帰)を促したのであります。 |