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057 思いの出処は心である |
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人間の理(ことわり)には本来三つの真実が隠されています。 それは@心理でありA真理でありB神理である。 一つ目の心理は心の法則というもので、個性を有して転生輪廻を繰り返す人間の自己反省として、正しい道筋に軌道修正する自主的反省回顧が心の法則であります。 この場合の正しい道筋が何であるかが問題で、本来の人間は何処に向かい何を成すべきかを示す道標が、二つ目の理である真理であります。 真理は人間の正しい生き方であり道筋(正しい人生)である。 人間にとっての善悪のボーダーライン(境界線)は時代の総意によって様々に揺れ動くものでありますが、これは地上の人間側の立場が揺れ動く毎に善悪の境界線は位置を変えてきたのが現状であります。 しかし人間として行ってはならないモラルがあり、人間であるからこそ目指すべき生き方があるはずです。 時代の波が高まったり低まったりしても、その波立ちの高低に関わりなく真人間が成すべき言動や向かうべき方向性は、総ての人間に当て嵌まる真理(善なる道筋)であります。 その真理の出処が何処であるかを探った方々が歴史上には数多く存在します。 そうした方々が魂を清めながら悟りを求めて真理の出処を模索したのであります。 もちろん覚者の到達点は様々な高みや深みでありましたが、真実の理を追究する姿勢は正しく真理そのものでありました。 つまり真理のルーツ追究には終わりがなく果てがないのです。 それは真理の出処が実相世界(創造主の意識)であるからです。 実相世界には総ての純粋な雛形が実在しますし、その雛形も形態を超越した融通無碍な根源意識であります。 こうした実相世界の純粋意識を体現する理が三つ目の神理という名の実相意識であります。 人間の地上社会が如何に低俗な時代を積み上げて来たのか…。 それに気付くためには混沌の泥海から一旦は顔を出して息継ぎをしなければ、冷静な心の瞳で現状把握が出来ないでありましょう。 反省回顧は魂の軌道修正であります。 心理(心の法則)を顧みることのない迷妄者たちは、全ての思いの出処が心であることを忘れてしまい、混沌の泥海に埋没したまま魂を自ら穢し続けている…。 心の法則を知らずして本来の正しい真理は有り得ないし、因果の理法を無視したまま真実の神理(実相意識)を語ることは出来ないのであります。 |