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062 心に映る善悪反面教師 |
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自己反省が苦手な人は反面教師から学ぶ機会が残されています。 社会生活を送る過程で、何度も繰り返し不都合な人間関係が起きてくるならば、その不都合を呼び込み引き寄せる因果の種が、自己自身側にも存在することを物語っています。 同じ環境で繰り返し襲い掛かる不都合を避けて思い切って環境を変えたとしても、また新たな環境に於いて同じような不都合が起こるようなら、間違いなく自己自身側にも因果の種があると認めなければなりません。 トラブルメーカーは何処へ行ってもトラブルを巻き起こすはずで、自分の普段からの粗野な性格をこそ改めなければ、紛争の火種が消えることは無いと言うことです。 こうした心理は万象に通ずる因果律であり、問題の重責を感情的になって他者のみに押し付ける前に暫し立ち止まり、その間隙を利用して深く深呼吸して、いま自分が置かれている立場や相手との相関関係を静かに見つめ直す気持ちが大切であります。 人間関係が拗れて泥沼の紛争に入り込むと、自分側にある因果の種を顧みることもせず、相手の悪事ばかりを誇大表現して裁くことになるでしょう。 そうなると水掛け論や揚げ足取りが紛争のメインとなってしまい、本来の原因が分からなくなって相容れない壁が二者を犬猿の仲とする訳ですが、残念ながら相手を悪視する魂の傾向性は、お互いの心に固まった同種の固定観念(霊的磁場)として、決して混じり合うことの無い水と油の関係でありながら、その後も頻繁に廻り合う悪因縁が続くのであります。 そうした状況を避けて遠方へと逃避したとしても、自己自身の内に残る悪視の因果律が、紛争を繰り返した以前の相手と同じような人間と新たな悪因縁が始まり、やがて以前と同じような泥沼の紛争に身を置くことになるのです。 これこそが心の法則であり、何人も逃れられない因果の理法であります。 全ての紛争は自己反省(反省回顧)から始めなければ根本解決に至りません。 自己反省をしないからこそ責任転嫁となるのであります。 法治国家である以上は社会人として罪は罪として償わなければならない。 しかし真人間としての心を見失ったまま表面的事象のみを裁くのであるなら、心弱き善人が我の強い悪意の誘導で悪事に追い込まれる贖罪も増えるでありましょう。 罪の中で最も重い罪は、言わずと知れた罪作りの大罪である。 利己的我欲を貪り食う為なら純真な善人も陥れる黒幕が、自らの悪態を地位や名誉で押し隠しながら善人面で生きている。 誰にも気付かれなければ何でもありの暗黒思想は、八岐大蛇の常套手段であることを決して忘れてはならないのであります。 |