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075 感性を超えるものは霊性 |
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今一度繰り返しますが、感情は自己自身の個性を中心にして自己展開する利己的琴線の鳴り響きであり、感性は他者の気持ちを配慮して自と他を客観的に包括する利他的琴線の鳴り響きであります。 この両者の違いを認識した上で、何れの方向に魂が片寄りがちであるかを精査すれば、自分が感情的人間であるか感性的人間であるかが見えてくるのです。 感情的心情(利己的琴線)は自己自身の個性であるが故に、私的意識として見失ってはならない人間性であります。 個性は尊い個性として善なる方向に昇華するべきである。 また感性的心情(利他的琴線)は自と他を繋ぐために鳴り響かせる心性であるが故に、公的意識として見失ってはならない人間性であります。 つまり利己的琴線(私的意識)と利他的琴線(公的意識)を臨機応変に使い分ける必要があり、こうした公私の区別を弁える人間こそ徳性を発揮することが出来る人格者であるのです。 地上世界に生きる人間であれば肉体に備わる感覚が、感情や感性の昇華を邪魔立てすることもあります。 そのため感情や感性には個人的な努力の成果が有りながら何処まで行っても個性が付き纏うのです。 それはそれで社会人としての人間関係を繋ぎとめる人間味でもあるため否定の余地はありません。 しかしこうした個性(感覚・感情・感性)を遥かに超越するものが霊性なのであります。 人間は自己限定の殻を打ち破れば霊性に辿り着きます。 しかし自己限定の殻を破る為には自己自身の現状を正確に把握しなければならないのです。 自分の魂の傾向性が見えないまま自己限定の殻を破ることは、目隠しをしながら迷路を爆走するようなもので、そこに偏ったプラス思考が加わると、過信は盲信となって何時しか自殺行為に繋がってしまいます。 従って自己限定の殻を正しく打ち破ることは安易な試みではなく、それを果たし得た者は其れ相応の悟りを開いた覚者のみであったのです。 しかし時代は21世紀を迎えて光明の黄金期に差し掛かりました。 長らく叫ばれたアセッションは既に始まっております。 数多の神々が肉体を纏って地上世界に降臨しています。 神の子としての見本となり手本となる情報もインターネットを介して手軽に探せる時代になっています。 私利私欲を排して冷静な瞳で精査すれば、地上に降臨された光明の天使たちと必ず繋がって行くのであります。 |