080 究極の観自在力は無限大

 

人間の魂が浄化され精妙化され光明化するなら観自在力は自ずと発揮されます。

その精神的大力量は如何なる神力なのかと言いますと、創造主の愛念(慈悲慈愛)を体現して神我一体となった魂には本来は不可能が無いと言うことです。

その大力量には範囲に於ける制限が無く、深まりに於ける極みが無く、高みに於ける果てがありません。

つまり大力量は無限永遠の扉が開かれ実相世界の光明の総てに繋がっています。

正に創造主の大御心は無限大であります。

その無限大に繋がる大力量こそ観念自在力の正体であります。

無限大なる大力量を体現できる範囲は、個生命の徳性(霊性・神性)に応じた器量に関わっています。

器(徳性)が小さければ小さいなりの分量しか掬い取れないが、幾度も必要な分量だけ掬い取れば良いのです。

器(徳性)を大きくすれば一度に掬い取れる分量が多くなるのであります。

自分一人だけの幸せのために徳性を磨く者は却って閉鎖的な魂の傾向性が積み重なり、容量の小さな器しか構築することが出来ないのです。

人のため国のため人類の新時代を開くために徳性を磨く者は、その容量も限りなく大きくなるのであります。

そうした高徳者こそ観念自在力を其のまま素直に体現することが出来るでありましょう。

そのためにも人間は誰もが魂に授かっている如意宝珠御霊を磨いて美しい本来の神性である純粋個性に立ち返り、実相世界から溢れ出す光明を其の身に体現して致だきたい。

真実の光明が地上世界に現れたなら暗闇は自ずから消え去る運命にあります。

光明が進む道には滞る影は其の身の無を証明するかのように自ら退くのです。

人の悩みは無闇と書いて『なやみ』と読むのです。

また無明と書いて光明(答え)が無い状態を表している…。

其処に光明(こたえ)が訪れたなら、本来は存在しない無闇(なやみ)は其の身を証明するかのように消滅するのみであります。

人間は本来は神の子です。

創造主と同じ大力量(観念自在力)を継承して扱うことが出来るのであります。

心の扉を正しく開いて徳性を高める貴方の努力精進に寄り添うように、創造主の愛念(慈悲慈愛)は総てを光明化するのであります。

 

 

 

37 霊性開示 【如意宝珠編】