081 観自在力は剣・漏神通力は鞘

 

観念自在力は無限大の大力量を発揮すると言うことでした。

それは神我一体を果たす究極の相手が創造主であるからです。

創造主は無限であり永遠であり制限は無く果ても無い御存在です。

それでいて微細な存在の中にも同時に息衝いて居られるのです。

ミクロでありマクロ、陽極であり陰極、光であり影でもあり、総ての生きとし生けるもの、有りとし在らゆるものに大生命の息吹きを浸透させて居られるのです。

人間側が光を放棄しない限り、総ての生命に平等に降り注ぐ光明そのものが創造主の御神体でもあります。

創造主から授けられた自由意思は光明を自発的に受け止める自由意志として扱うべきでありました。

しかし人間の驕り高ぶりは光明を受け取らない自由意思として行使したのであります。

そのため世に暗黒の時代が度々訪れ、心の岩戸が幾度も閉ざされたのです。

自由意思には光明を採るか暗闇を採るか…。

その採択の品位に於いて公平な結果を得られるように、創造主は観念自在力を人間に授けたのです。

因果律に兼ね合った結果を受け止めることで、平等に降り注ぐ光明と公平に努力精進を評価する天秤(徳性)を、創造主は人類に授けたのであります。

声なき声で創造主は常に語り掛けています。

人間よ貴方が欲するままに自由に生きなさい…。

そうしてその結果を素直に受け止めなさい…。

その結果には自由意思に基づいた原因があるのだ。

その因果律を見い出して自らの意志で運命を開拓すれば良い…。

このように創造主は常に語りたもうのであります。

神我一体となって観念自在力を発揮する者は光明の剣を活人剣として扱うはずである。

しかし心得違いをして観念自在力を欲する者は、波長が異なる為に光明の泉が閉ざされるのである。

すると心得違いをする迷妄者は形体だけを真似た観自在力を扱い、我欲に翻弄されながら模擬自在力を殺人剣として扱うのである。

徳高き聖者は光明の剣を無闇に振り回さないのです。

公私の区別を弁えて、普段は光明の剣を鞘の中に納めているのであります。

その鞘に該当するものが、これから説明する漏神通力であります。

最高の剣士は闘わざるを旨とする。

人間関係に葛藤摩擦が起きる理由は、言葉の剣を無闇に振り回す人間が多いことを裏付けています。

 

 

 

37 霊性開示 【如意宝珠編】