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009 博識統治のシュメール文明 |
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現在の中東情勢が戦乱を重ねて来た背景には、メソポタミア文明の特異な歴史認識が根強く影響しています。 旧約聖書の天地創造はメソポタミア文明の原点に当たり、その起源を遡ればアトランティス文明やムー文明にまで辿り着きます。 ノアの箱船伝承はアトランティス大陸やムー大陸の沈没を伝えたものでありました。 つまり世界各地に伝わる天地創造の原形は、かつてのムー文明の太始創造がルーツとなるのです。 話を戻しますが、メソポタミア文明には学識の高い魂が多く地上に降りていました。 地政学や天文学、自然学や数霊学、尺貫法や健康法、色彩法や音源法…。 在りと凡ゆる法則性を探究して博識を高めた歴史がシュメール文明であったのです。 しかし博識は知識の集積に他ならず、多くの知識を持ち合わせていても其の知識を持って他者を裁くだけであるなら、せっかくの文明の力量が単なる殺人剣になるだけであります。 シュメール文明の末期には、何方が多くの知識を持っているかを競い合う競技が多発して、人格の低い頭デッカチが大威張りで街を闊歩する姿が多く見られました。 学識ばかりで理屈が多く、減らず口が威勢を張れば、その迷妄大言を力で捻じ伏せようとする外敵が現れてくるのも世の常である。 シュメール文明は北方の強大な民族に度重なる武力で攻め落とされたのであります。 賢いシュメール民族は強敵から逃げるように大船団を組んで大海を渡り、東南アジアからユーラシア東部へと回り込み、かつての大和国日本にも渡来民族として移り住みました。 九州南部から東部、四国南部から瀬戸内一帯、紀伊半島から東海沿岸、遠州から関東沿岸…。 更に本体に当たるシュメール人たちは当時の東関東から東北太平洋側に上陸して、多彩な知識を其のまま日本に持ち寄りました。 その片鱗がホツマツタエや上記、東日流外三郡誌等の古史古伝の文献として現代にまで伝え残されております。 シュメール民族が持ち寄った尺貫法は中世の日本の成長に貢献し、日本的な色彩美や雅楽調音等にも色濃く影響を与えました。 一方で中東に残ったシュメール民族も幾多の戦いを乗り越えて歴史や伝統を紡いでおりましたが、永らく続いたユダヤ民族との闘争、20世紀後半から続いた中東戦争などで、シュメール文明の輝ける功績を徐々に失いつつあります。 |