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014 惜しまれた大津皇子の冤罪 |
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日本の歴史上で天下分け目の戦いとなったものは幾つかあります。 遠い昔であれば神武天皇や日本武尊の東征、近代であれば明治維新の戦いや関ヶ原の戦い…。 日本全土を巻き込んで戦った東西対決は、霊的に観ても日本の歴史上に深い爪痕を残しました。 しかし大和国日本として忘れてはならない天下分け目の東西対決は壬申の乱であります。 この壬申の乱は天皇家が二つに別れて戦ったように語り伝えられておりますが、天皇家は何時も時の権力者(影の黒幕)に利用された歴史でありました。 聡明な天智天皇が崩御された後には、時の権力者たちの利権争いが表面化して、迷妄者と成り下がった彼等が次期天皇陛下候補を擁立して、互いに相争った大戦が壬申の乱でもあったのです。 最終的には大友皇子を擁立した西軍(近江側)が敗れ、大海人皇子を擁立した東軍が勝利を治めました。 この大海人皇子には霊性に於いても優秀な子供たちが居たのです。 その優秀な子供達の中に大津皇子という次世代の希望が隠れていたのであります。 壬申の乱に勝利した大海人皇子は都を近江から飛鳥に戻して、再び大和国日本を復活させんと尽力したのでありました。 大海人皇子が崩御された後は大津皇子が中心となって、地上の文化興隆を果たすのが高天原(高次元神霊界)の意図する処でありました。 大津皇子の才能は文武両道、豪放磊落で義理堅く、豪族や家臣からの人望も厚く、日本に於いては漢詩は大津より始まるとさえ言われた高い学識文才も堅持していたのです。 しかし大津皇子の存在は優秀過ぎたのか、並び立つ人々から嫉妬され怨恨の対象にされたのです。 その為に無実の罪(謀反)を着せられて24という若さで此の世を去りました。 迷妄者たちの疑心暗鬼は止まらず大津皇子の死後には大海人皇子の多くの子供たちが、謂れの無い謀反や怪しげな病気で次々と命を絶たれたのです。 大津皇子を筆頭にして大津の兄弟姉妹達が後10年でも命を永らえたなら、日本の歴史は善なる方向に大きく変わっていたでありましょう。 それだけに大津皇子の冤罪は今を持ってしても惜しまれた大事件でありました。 もともと大津皇子の魂は高級神霊でありまして、偉大な大和国の基礎を創り固める為に、高天原から地上に派遣された神々の希望(救世主の要)であったのです。 |