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019 天の安河原で行われる神評定 |
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個性があるということは自由な意思表示があるということです。 本来の自由意思には規制はなく制限もない…。 しかし其処に複数の個性が共存共栄するなら、集まった個性の数だけの規制が生じ制限も生ずるのです。 その場合は自意識のみが強過ぎると周囲に影を落として、共存者たちへの光明を遮ることになるのです。 此処に他者への配慮があるなら自発的な自意識調整が始まるのであります。 臨機応変とは我儘放題(好き勝手な言動)ではなく、周囲の人々の気持ちを察して適材適所に言動を使い分ける徳性である。 言いたい放題に所構わず喚き散らす言動が自主規制出来なければ、魂は未だ癇癪を抑えられない幼児のままであると言うことであります。 複数の個性が一同に介して意思疎通をする為には合議(会話)が必要になりますが、自己主張の押し売りでは会話にはならないでありましょう…。 相手の話をよく聞いて何を言わんとしているのかを吟味しながら和解に向かうのが合議(会話)の本筋であります。 そのため天の高天原では話し合いを神評定として、様々な主張を吟味しながら打ち解け合うのです。 お互いの主張が噛み合わなければ天の真名井で想いを浄化させながら融和点を模索します。 こうした神評定が深まれば、意思疎通には多くの言葉が必要が無くなり、核心を突く言葉だけで双方が十分に分かり合えるのです。 言挙げせぬ(黙して語らぬ)日本神道の教導は、こうした高次元神霊世界の神評定がルーツとなっているのです。 三次元地上世界に近付くほど雑多な言動を多く重ねなければならないのは、地上世界が霊性を離れて魂が物質化に向かいつつあることを意味しています。 自己主張に拘る者同士が相手の主張の論旨を評定もせず、自己の主張のみを強引に押し通そうとするなら、それはもはや合議としての会話にはならないと言うことであります。 霊的世界にも様々な霊人が意見交換をしておりますが、光明世界(表側霊界)の住人は相手の話を聞くことから始まるのに対して、裏側霊界の住人は自己主張から始まることが多いのです。 そのため裏側霊界では意思が合わない霊人同士は、何百年何千年も壁を造って疎遠になることも珍しくないのであります。 |