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020 大和精神の顕現は地の高天原 |
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天の高天原で神評定された内容を地上世界に浸透させる神々が地の高天原に集った神々の天職となります。 具現力は音霊(おとみたま)を扱う地の高天原の神力であります。 荘厳極まりない自然界の力量は総て地の高天原の神技である。 地震・落雷・台風・大雪・津波・噴火・雪崩・竜巻…。 総ての自然災害は其のエネルギーを統治する統率神が実在します。 蒸発して昇華する水霧が無目的に彷徨うだけなら何も起きないであろうけれども、其処に全ての水霧を統治する統率神が現れたなら、水霧を集め風を呼び込んで膨大な積乱雲となり、地上に暴風雨を降らせることになるのです。 何気なく巻き起こる自然界の営みには全てに意味があるのです。 そこに自然界を司る統率神が存在するからであります。 地上世界に実相世界(天の高天原)からの意向を顕現させるために地の高天原が選ばれた理由は、諸天善神(六次元神界)の世界が地上世界に対してアプローチし易い位置関係にあるからでしょう。 古くから時折り語り継がれた弥勒世(ミロク)の到来は、実相理念(九次元)の慈悲慈愛を、諸天善神(六次元)を通して地上世界(三次元)に浸透させる御世の到来であります。 これが弥勒(三・六・九)到来の真意であり、日本神道が連綿と行なってきた神理の浸透こそ神道(かむながらのみち)でありました。 そのため地の高天原(六次元神界)には自発的に光を和らげて身分を隠す大神霊(実相神)も居られますが、その徳性の高さ鮮やかさから、その出自を見破られないまま六次元神霊世界に紛れて、地道に天職(ミロク教導)を遂行して居られます。 徳性(神性)が高い方ほど身を慎んで謙虚な姿勢を貫いて居られますが、どういう訳か徳性が低い方ほど身の程知らずの威信を張りたがるのも可笑しな現実となっています。 これは地上社会にも稀に居るはずですが、虚栄を張って優位に立ちたがる遠吠えの小人と同じであります。 徳性の高さは至近距離では判断が難しく、そこそこ距離を置いて客観視しなければ解らないものが人徳でもあるのです。 目前の山並みに近付くほど其の背後に聳える高山が見えなくなるのと同じ原理であります。 神徳の光明を自発的に和らげて地の高天原で天職を遂行する大神霊(実相神)は、地上世界にも降臨(転生)し易くなるのです。 |