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021 相対世界に隠された魂の学習 |
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霊界に於いては主義主張の違う霊人同士は交流がないと言うことでした。 また自己主張の違う者同士が交流しないからこそ摩擦や葛藤も起きない(起きようがない)からこそ永久の平安が存在するのです。 そうであるなら三次元地上世界の存在意義は有るのでしょうか? 最初から摩擦がなければ何の問題もないはずです。 しかし地上世界には凡ゆる霊世界から生命が転生して様々な個性が乱立し、夫々の主張を闘わせているのであります。 そうした意見の相違が時として罪穢れとなり、口論となり格闘となり戦争となるのです。 それでも三次元地上世界が無くならない理由がある。 それは多種多様な霊世界の個性化霊人とは、霊的世界に居る間は接触する機会すらないが、この三次元地上世界では心境差や経験値の高低多少に関わりなく、かなり身近な存在として、生活や人生を共に生きる千載一遇のチャンスが万民に与えられているからです。 霊界から地上世界を覗き見るだけでは深い心の心情までは解り辛いのですが、いざ地上世界で様々な個性を有する人々と同じ境遇に立たされた場合に、リアルタイムで魂の繊細な学びが得られるのであります。 普段は中々お逢い出来ない高級神霊世界の神々にも身近な存在として生活を共にすることもある。 高級神霊世界の神々が様々な場面で如何なる判断力や解決能力を発揮するのかを、直接その目で確認して学習することも出来るのが三次元地上世界であります。 更に迷妄道に嵌り込んだ悪しき心の迷妄者が反面教師として如何なる醜態を演じるのかを、同じ社会で学習する機会も得られるでありましょう。 一人の人間が地上世界で生きている間に経験出来るものは限られているけれども、例え直接経験が出来なくとも身近な存在としての学びの対象は街に溢れているのであります。 これが相対世界(三次元地上世界)の消滅することのない真なる存在意義なのです。 どの様な境遇であれ学びの姿勢を貫くことが出来るなら、貴方の徳性は果てしなく生長を続けるでしょう。 これこそが徳性開発の基礎研鑽である謙虚の徳性であります。 謙虚さが保てない人は、まだまだ魂の学習が足りない段階に留まっているのです。 謙虚な姿勢を貫けない人は、他者の本当の気持ちを理解することは難しいのです。 なぜなら物事の基準が自分(自己中心)になっていることを本人自身が見抜けないからであります。 それは真摯に他者から学ぼうとする学徳(謙虚さ)が乏しいからであります。 |