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042 交通安全 |
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年々増え続け悲惨さを増す交通事故は、庶民の身近な問題として寄り添っています。 道路事情が改善され、立体交差や自動車優先道路などが造られても収まらない交通事故は、その全てが人災であります。 道路交通法による厳格なルールがあっても、それを守らない(守れない)人間が後を絶ちません。 今だけ良ければ何でもありの軽薄な人間が増え、誰にも見られなければ(知られなければ)何でもありの自己中人間も増えてまいりました。 また共生社会の法治国家に在りながら我儘利権(個人的治外法権)を誇示する迷妄者たちが、自分勝手な自己都合解釈でトラブルメーカーとなって、周囲の善良な市民を悲惨な事件事故に巻き込んでいる…。 例えば秩序と調和が保たれた世界では事件事故が起きようも無いのです。 その典型が天国の霊的世界であります。 善霊界では意思疎通が可能なため他者配慮をしながら良好な霊友関係が実現しています。 これは事件事故の根本原因となる心の摩擦が無いからこそ実現している平安であります。 翻って地上世界を精査すれば、何と多くの事件事故が巻き起こっていることか…。 これは事件事故の根本原因である心の葛藤(摩擦)が、如何に多いかという事を如実に表しているのです。 現実的な衝突の種(根本原因)は心の葛藤である。 トラブルメーカーの心の中には利己的な衝突原因(怒り・憤り・批判・迷惑・疑い・誹り・嫉み)が渦を巻いて、心の摩擦(葛藤)を逐次発生させているのです。 その憤慨を自己規制なく表現すれば、ストレス発散と成るどころか新たなストレス誘引磁場となって、事件事故を呼び込み引き寄せる因果の種を心に構築するだけであります。 交通安全を神社で神々に祈願する者は、同時に自己自身の心の浄化(反省回顧)も行わなければならないのです。 何故なら事件事故を呼び込み引き寄せているものの正体は、常日頃から積み重ねてきた心の葛藤によって、魂の傾向性にまで高まった内的障害(心の摩擦)であるからです。 前世からの宿業が魂の傾向性として根付いている人であっても、反省回顧を重ねて心を浄化しながら感謝報恩の心を繰り返し積み重ねることで、事件事故とは縁遠い平安な人格が形成されるのであります。 |