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043 願望成就 |
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時代は科学力の進化に従って文明を押し上げ、不都合・不整合を克服することで、地上世界の人間は我儘の行使に意識を注げるようになりました。 しかし今も世界の何処かで飢えに苦しむ人々が、日々の糧を得る事すら儘ならない厳しい生活を強いられている…。 平和な社会を望んでも殺戮兵器が飛び込んでくる国も現存しています。 対岸の火災を観劇のように眺めて足元に忍び寄る影に気付かない自称平和主義者は、気儘な人生を謳歌するのみであります。 日々の生活の糧に追われる人間と、生活に必要な物が一通り揃った人間では、幸福観念も思考回路も違ってまいります。 人は何のために生まれ、何故に生きているのか…。 この人生の命題も大きく違ってくるでしょう。 日々の願いが生き長らえる事であると思う人と、高級ブランド品を手に入れたいと思う人では、幸福観念が根本的に違うものになっています。 我が子の安寧を祈りながら生きる人と、自分の都合(欲望)を常に優先する人とでは、夫々の人生観に大きな開きがあるのです。 こうして人々の願望は、様々な人生観に裏打ちされながら自己意識優先であったり、他者配慮優先であったりするのであります。 祈りの性質が利己にあるか利他にあるかは心境の差に於いて天地ほどの違いがある。 自己実現が正に自己願望であれば祈願の成就は個別分断化に進むのです。 しかし自己実現が他者救済であれば祈願の成就は大和心(秩序と調和)に進むのです。 願望成就には様々な自己実現が有り得ますが、純粋な祈りであればある程、神々からの助力(守護指導)が降り注がれるのです。 なぜなら願望に直接作用しているものは心の法則(因果の理法)であり、自己実現には其のまま自己責任が伴なうのであります。 願望成就は御利益ではなく、因果の理法に則った原因結果の自己実現である。 そのため願望を抱く人間の魂の傾向性が如何なる性質を持つかで、その祈願が天国に通ずるか地獄に通ずるかが判別されるのです。 自分の利得ばかりを神前で祈れば同じ欲得願望を抱く迷妄霊に気に入られて憑依され、迷妄邪霊の界隈として操られる人間になってしまいます。 他者の幸せを神前で祈れば、神々の想い(人類救済)と波長が合うからこそ、天国の霊人たちが手を差し伸べてくれるのであります。 |