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056 辺津鏡(へつかがみ) |
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沖津鏡は魂の反省鏡で、神の子の自覚を深める為の重要な霊的アイテムであると語られましたが、辺津鏡(へつかがみ)は心象の反省鏡で、心に蔓延る罪穢れを確認するための自照鏡であります。 地上世界は重苦しい波動が飛び交う思念想念の世界でもあり、三次元地上世界に居るだけで心には汚濁が付きがちであります。 例えば生鮮食品を長らく放置しているだけで、常温では直ぐさま酸化が始まり発酵や腐敗が始まるのである。 人間の肉体も酸化が始まり発酵や腐敗が進むが、そこに生命の進展(新陳代謝)が繰り成されることで古き肉芽は体外に排出され、新たな肉芽が形成されて肉体生命は維持継続されるのです。 重苦しい波動が飛び交う心象の世界に無条件で其の身(心)を晒している地上世界の人間は、時折り心の整理浄化を常時清掃の如く行なう必要があります。 そうでなければ人間の心には自然に汚濁が溜まり、そのまま放置すれば心はゴミ屋敷と化すのです。 そうして心が澱んだままの状態で人間社会は混迷を極め、事件事故が頻繁に巻き起こるのです。 こうした事実を地上人間は自己自身で確認しなければならない。 その為の自照鏡(沖津鏡・辺津鏡)を光明の天使は授けられて地上世界に光臨したのであります。 もっとも此れ(十種神宝)は光明の天使のみに授けられた神宝ではなく、総ての生命に組み込まれた心魂行法でありましたが、多くの人間が地上世界の鈍重な波動に染められて神の子の自覚を忘却し、心魂行法(十種神宝)を見失ってしまったのであります。 沖津鏡は魂(潜在意識)の状況を確認する為に、辺津鏡は心(顕在意識)を確認する為に、夫々の特質を生かした反省鏡として正しく用いる必要があります。 この自照鏡を自らの反省回顧に使わず、他者裁きの材料としてのみ使用する迷妄者も居るのです。 特に20世紀の栄華に溺れた現代人は、自らの心魂を顧みることもせず、恰も刹那の中に埋没することが善であるかのような錯覚(自己陶酔)に浸りながら、自らの心魂の扉を固く閉ざしてしまったのです。 こうしてアセッションが声高に叫ばれる迷妄時代には二段階の岩戸開きが必要になりました。 現代の長鳴き鳥は今も声高にアセッションの到来を告げています。 それに気付くか気付かないかは個々の徳性如何に関わっております。 |