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058 生玉(いくたま) |
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次に生玉(いくたま)という神宝がありますが、これは人間の感情を自己統制するための神宝であります。 新創世記には八大霊学が説かれておりますが、その中には生霊学(いくたまがく)が語られております。 生霊(いくみたま)とは感情であり、人間が発する感情は、その発生源となった人間から離れて一人歩きをして、まるで単体の生き物のような働きをするのです。 そうして感情に込められた意識の強さによっては、長く広く遠くまで影響を与え、善悪に関わりなく意思の強さなりの感化を与えるものなのです。 地上世界の人間(とくに現代人)は、心の中が他人からは見えないと思うからこそ好き勝手な感情を抱き、悪しき情念を垂れ流す愚行を繰り返しております。 しかし本来は霊界から見ればガラス張りの如く全てを見られているのです。 同じ人間同志でも徳高き人格者たちは、可也の精度で他者の心を読み取っています。 21世紀は霊性の時代であり、地上世界にも意思疎通の霊学が広く説かれるでありましょう。 こうした新時代には感情の自己統制が当たり前の倫理になるのであります。 光明の天使たちは誰よりもストイックに感情をコントロール(自己統制)しなければならない。 自らの感情に振り回されてばかりでは使命役割を果たせないでありましょう。 此処に生玉という神宝が有用になるのです。 生玉は自らの感情を、もう一人の自分(守護霊)の視点で客観視する為の尊い神宝であります。 それは占い師が水晶の玉を覗くように、自己自身の心の中を精査する作業が生玉の霊的役割である。 感情の中には世間を彷徨う浮遊情念も多く、外部から飛び込んでくる去来思念の中には危険極まりない悪思念も含まれています。 心に浮かぶ感情を精査する習慣が無ければ、人間は何時しか感情の奴隷となり、人生という車の運転手でありながらハンドル操作を行わない無謀運転者に成り果てるのです。 混沌極まりない現代であればこそ生玉という概念は必要不可欠な心理となります。 特に光明の天使たちは世人の見本となり手本を示す為にも、時折り生玉を心の瞳で覗き見る習慣を持って致だきたい。 |