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060 足玉(たるたま) |
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八大霊学には生霊学(いくたまがく)が説かれ、生霊(いくみたま)は感情論として説明してありますが、同じく八大霊学には足霊学(たるたまがく)が説かれ、足霊(たるみたま)は感覚論として説明しております。 人間にとっての感覚は三次元世界に於ける人類共通の尺度であり、同じ感覚尺度を共有することで、全ての人間が足並みを揃えた地上生活を送れることになるのです。 しかしこの足霊(感覚)にズレを生じさせるものが自我我欲でありまして、利己的自我を魂の傾向性として固めてしまうなら、個別の偏狭感覚が魂に根付いてしまい、感覚のズレから社会人としての共通意識が持てなくなって、身近な人間関係に深い溝を造り、高い壁を拵えてしまうのであります。 地上世界に降ろされた十種神宝の一つである足玉(たるたま)は、基本的な感覚意識を取り戻す為の霊的アイテムであり、大和精神としての神の子の自覚を想起させる共通認識であるのです。 地上世界は個別意識から単体の至福を求めることが出来る個性化を許された世界であります。 その個別意識に囚われ拘るなら至福を私腹として得んと欲して、互いに奪い合う強奪環境が多発するのです。 共通認識としての感覚意識で足ることを知らなければ、感覚不足の観念は尽きない執着の欲望を募らせ、平素のバランス感覚を狂わせて人格崩壊に及ぶのであります。 足玉の霊力は絶大なる求心力で、満ち足りた心を維持継続することで安定した歩調を取り戻させるでありましょう。 自分の感性が他者とズレてきたことを気付いた時に、直ぐさま足玉を心の中に取り出して意識集中すれば、千々に乱れた意識は集約され、強い刺激を求める自己陶酔から魂が目覚め、謙虚な心持ちで確かな一歩を歩み出せるようになります。 基本姿勢を見失った状態が、社会人としてのバランス感覚を見失った状態である。 個性化の自由は自我尊重(勝手気儘)ではないはずです。 理想追求は自我我欲(自己中心)ではないはずです。 凡ゆる霊層から幾種の霊人が地上世界に集い来たからには、地上世界なりの時代精神が生み出した社会ルール(感覚意識)を、地上人間の倫理感覚として自主的に遵守する常識人でなければならないのです。 十種神宝の一つである足玉は、そうした常識感覚を想起させる神宝であります。 |