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066 八咫鏡は反省回顧 |
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伊勢神宮の御霊代である八咫鏡は自照鏡であり反省鏡であります。 物事に対する際には常に自らを顧みることから始めなければならないのです。 個性を有した人間は自由意思を行使する権利が与えられています。 しかしその自由意思には自己責任が伴います。 心の法則(因果の理法)に従った自業自得の自己責任である。 個性には個別意識に備わった固定観念が付き物です。 この固定観念が固まると偏見となり狭心となります。 自己自身の見方や言動に、どの様な傾向や習性があるかを熟知していれば、万象に展開する事物は、見た目の形態のみならず自己自身の色眼鏡を外した状態であることが判断できるのです。 しかし自己自身の色眼鏡が見えない状態のまま万象に展開する事物を見たなら、目前に展開する様々な障害に自己自身の偏見も影を落としている事実に気が付かないのであります。 相手の正確な人格を読み取る際には、自己自身の色眼鏡を外さなければならないのです。 他者の言動の中に不条理な事物ばかりが見えるなら、その不条理な状態を現わしている原因に、自己自身の心の不条理も少なからず反映していることを見い出す必要があります。 誰かの人生の課題は、そのまま自分の人生の課題であるかも知れないのです。 他者の醜態が、そのまま自分の醜態であるかも知れないのです。 八咫鏡は四方八方に我が身の心が映し出されていることを教えてくれるはずです。 高徳者たちは現象世界に自己展開する全ての事象は心の投影であることを悟っております。 さすれば事物に対する際に高徳者たちは直ぐさま反省回顧から始めることになります。 プロセスの途中で改変を望むことは応急処置に過ぎないのです。 高徳者たちも応急処置は施しますが、それは根本治療を行う迄の一時凌ぎであることを悟っているため、常に自己自身の内なる根本原因を見い出す努力を怠らないのです。 日嗣御子は実相神理を地上に降ろす大役を遂行する為に、自己自身の色眼鏡を外さなければならないのです。 そのため反省回顧の深さ潔さを要求されるのであります。 大和民族に大和精神(こころ)を取り戻させる為には、まず自己自身の心に本来の大和精神を取り戻す必要があります。 |