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067 反省回顧は八正見 |
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現代人は反省が苦手であります。 自己反省を責任転嫁の果てのペナルティー程度にしか活用していません。 他者に責任を押し付け猛省を強いるわりには、反省そのものが何であるかを知らないのです。 そのため役職を剥奪して辞任に追い遣り、廃人同様に完膚無きまで精神を追い詰めるのです。 そもそも反省とは何でありましょうか…。 それは正道を外した状態を確認して原因を精査し、本来の正しい大道に軌道修正することが反省であります。 責任追及が人格否定としてしか機能していない現代人の反省回顧が如何に危険であるかを、本当に知るものが残念ながら現代人には少ないということです。 八咫鏡は八正見であります。 八正見の八は数値に拘るものではなく、多くの(数多の)事物を総称する八であり、万象の事物は其の本質を見抜いて、正しい真理に照らし合わせた見解を心掛ける必要があると言うことを意味しています。 つまり反省回顧には其の人なりの真理の深浅が其のまま作用してくるということである。 何が正しく何処が間違っていたのかを本当に知るためには、真理が何であるかを知らなければならない。 誰も見て居なければ何でもありの人間には正しい真理が何たるかを期待出来ないでしょう。 利己的感覚で自分だけの優越に拘る人間には真理を学ぶ姿勢すら感じられないでしょう。 容姿の体面や立場の保身に奔走する人間に、本人の心の内部にある汚点を認めさせるのは至難の技であります。 要するに個別意識の優越感覚には愛に於ける反省回顧の概念が乏しいと言うことです。 意識の前後裁断は正しい反省回顧を果たした者のみが効果を現すのである。 プラス思考も常勝思考も光明思想も、正しい反省回顧を通した者のみが扱える真理の剣である。 何が正しく何が間違っているのかを正確に判断するためには真理そのものを学ばなければならない。 その真理具足の深まり高まりに従って反省回顧も精度を増すのであります。 今また繰り返しますが八咫鏡は八正見である。 正しさの追求を怠る時代精神は反省回顧の習慣すら放棄し兼ねない危険な時代であります。 |