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068 謙虚の徳性を磨け |
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八咫鏡が目指すものは心の浄化であり魂の純粋化であります。 伊勢神宮の御霊代である八咫鏡を万民に示すことで、人間が見失いがちな神の子の自覚を取り戻し、その高貴な生命の実相を純粋化するのです。 天照大御神は万民に反省回顧を促して、一人々々の魂に真なる幸福を齎す為に、日夜光明を放っておられるのであります。 人々よ決して忘れるな、貴方も本来は神の子である…と。 個我に囚われ我欲に埋没するからこそ心の岩戸が閉ざされたのである。 世を暗黒世界に浸らせた罪は外部の何者でもなく、自己自身の内部に巣喰う個別優先意識(利己心の魔)である。 そんな貴方も大和精神を取り戻したなら、心の岩戸は自然法邇に開くのであります。 大和精神は結びの心である。 そこには慈悲慈愛が溢れている。 優しさや懐かしさは魂の奥底から溢れ出す生命の一体観である。 この生命の実相(一体観)を地上世界でも維持継続する為には、大いなる神に対して謙虚な姿勢を貫く必要があるのです。 人間は立場が上がり自信が高まる毎に、大切な基礎精神を見失いがちであります。 この基礎精神は自らの魂を磨くことであり、淡々と謙虚な姿勢を貫くことである。 傲慢に落ち込む人間は謙虚な姿勢を維持できない。 傲慢な気持ちは他者との比較(優越感情)から頭を擡げるのです。 個別意識への固着から他者批判や他者軽蔑が始まるのです。 その醜い自己防衛意識(優越感情)をプライドだと誤信して、個我の誉れを過信する所に、数々の迷妄邪説が噴出してくるのであります。 自己反省を嫌うものには光明は来らず、反省回顧を避ける者に真っ当な未来は訪れないでしょう。 神社参拝の折に本殿に据え置かれた御神鏡が目に入ったなら、心の回顧を促されていることに一早く気付き、本来の生命の実相を直ぐさま取り戻す作業を疎まず行う貴方であれ。 自分だけは何時も大丈夫と、自らを特別な人間だと思う気持ちの中に、利己心の魔が巣喰う事実を忘れてはならないのであります。 心の岩戸開きは本人以外の者では果たせないのです。 自らの主体的な意志で、固く閉ざした心の岩戸に隙間を開けることで、始めて手力男神は手助けすることが出来るのです。 自助努力としての主体性が無いまま手助けしてしまったなら、人間は何処まで行っても操り人形に他なりません。 |