|
089 言挙げせぬ絆 |
|
我儘気儘に生きる迷妄者たちは言葉の表面的な意味合いしか知得出来ない為に、浅い知識で挙げ足取りに終始して他者批判を繰り返します。 彼らに客観視が難しい理由は、反省回顧なき心では正しい客観視が出来ず、そのため言葉を形骸化して意味合いとしての深みが理解出来ないからであります。 徳を積んだ人徳者ほど相手の心を正確に読み取ります。 それは言葉に込められた意味合いの知覚認識が深いからです。 相手の言葉の真意が理解出来るからこそ少ない言葉でも多くを悟るのであります。 大和精神は意思疎通(以心伝心)の魂融合であり、言葉が少なくとも分かり合える精神である。 そのため多くを言挙げせずとも相手の身上(背後関係)を理解出来るのです。 挙げ足取りは知恵が浅く経験が薄い人間が、知識だけを集めた状態で他者批判をすると挙げ足取りとなるのであります。 知恵が深く経験や体験が豊富な人間は、そこそこの知識だけでも相手の心情を察して言葉を選ぶのであります。 従って大和精神は黙して語らずとも分かり合える魂融合(結びの心)になるのです。 長年連れ添った夫婦の会話が少なくとも、夫がお茶が欲しいと思う頃合いに妻が自然にお茶を運んでくるようなものです。 事前に示し合わせた訳でもないが妻は夫の気持ちを解するが故に、頃合いの良いところで自然にお茶を煎れたくなるのであります。 意思疎通とは魂の一体化である。 自我を薄めて相手の心を読み取れば大和精神は自然法邇に自己展開するのです。 そこには無理もなく無駄もない。 相手の気持ちを分かり合える者同士の魂の絆が其処には在るだけなのです。 日本人は古来より大和精神に育まれてきた民族でありました。 数多の渡来民族が合流した寄せ集めであっても、魂の本質を分かり合えたなら必ず意識は通じると信じられた民族でありました。 そこから敵に塩を送る心遣いが生まれたのであり、語らずとも停戦を察する心遣いも生じたのであります。 総ては大和精神がバックボーンに存在したからこそ実現した史実であり、その背景には氏神に対する深い信仰心が見え隠れしているのであります。 氏神に対する信仰は魂の故郷への帰属意識に他なりません。 日本人にとっての魂の故郷は天照大御神に帰結します。 大和精神の根源は天照大御神への復命(純粋な信仰心)なのであります。 |