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092 正しい死生観 |
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現代の地上社会が欲得願望追求の果てに要求してくる人柱は、迷妄者たちが積み重ねた悪事の数々を身代わりとなって背負わされる人柱であると言うことでした。 しかし本来の精神的人柱は時代精神を塗り替える為に地上に降りて来た光明の天使たちが、自分の為ではなく人の為に生命の総てを賭けて使命役割を遂行する姿であります。 歪んだ地上世界の時代精神を、正に命懸けで変革して行く職業天使たちは、その身に刻んで来た天命を人知れず胸の奥に秘めたまま、日々淡々と使命役割を積み重ねるのであります。 これは目先の評価を気にするようでは真っ当することが出来ない天職であり、人生の総てを投入して次代の光明の天使たちに天命を引き継ぐ為に、実相公務を実現する努力を怠らないのであります。 彼らは地上人間としての喜びや楽しみも同時に味わえますが、地上社会に蔓延する喜楽は、実相歓喜や仏性法楽を悟る彼らには余り興味を唆られる代物ではなく、大衆救済に立ち上がった高徳者ともなれば、地上的な喜楽は魂の糧(筮竹)にはなっても、人生の目的には成り得ないことを誰よりも実観して生きているのであります。 そうした彼ら(光明の天使)の死生観は、みな共通して永遠に生き通しの生命を日々実観して生きております。 そのため来るべき肉体の死滅を恐れることなく気にすることなく、一日一生の心持ちで今日成し得ることに全力を尽くし、現在の自らの心境内で最善を尽くすのみであります。 時に潔さは死をもって良しと考えられた時代もありましたが、永遠の生命を生きる光明の天使たちには、魂を最大限に生かす(活かす)ことこそ天命を身に宿した光明の天使としての潔さであると受け止めて生きています。 しかし時代を混迷させる迷妄者ほど肉体の死を恐れるのです。 罪穢れを反省なきまま積み重ねる人間ほど自らの延命を叫ぶのであります。 人間の生命の実相には終わりなく果てがありません。 むしろ霊性閉塞や神性隠蔽の方が魂の停止固着に向かわせる物質化(生命の死滅)現象であります。 正しい死生観を持つことは徳性開発に於いては誠に重要な課題である。 地上世界の霊性復興を目指す高天原の神々は、生命の実相をこそ地上倫理として末永く定着させたいのであります。 |