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105 迷妄人間が求める強さ |
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日本人は日本人である誇りを取り戻さなければならない。 結びの心を魂の中心柱とした大和精神を見失ってはならない。 この民族性は世界広しと言えど、唯一大和国日本のみが育んできた民族性であります。 こうした尊い民族性(日本人の誇り)を見失わせたものは、個別意識尊重の驕りでありました。 全体意識への自主的な超入は魂の誇りとなりますが、個別意識への迷妄は魂の驕りとなるのです。 魂の誇りは基本姿勢が謙虚となりますが、魂の驕りは傲慢が基本姿勢となっています。 謙虚な姿勢には他者に対する配慮があり、想い遣りや手助けが自然発生するが、傲慢な姿勢には自分に対する利害があり、思い惑いや欲得願望が身勝手な振る舞いとして現れてくるのであります。 傲慢と謙虚…は、現代のスフィンクスの謎解きである。 人間の本来相を性悪説とする論説は比較対象としての傲慢意識を目覚めさせます。 方や人間の本来相を性善説とする論説もまた比較対象としての傲慢意識を呼び覚ますのです。 性悪説と性善説はコインの裏表の関係でありまして、何方の説理も片寄った偏見に他なりません。 人間というものは生命の実相を見失うと、物質文明の何らかの象徴に寄り添わなければ心が落ち着けない生き物になってしまいます。 その不安定な迷妄意識が、やがて魂の外部に依存対象を求めることになるのです。 そうして益々人間は霊性(生命の実相)を見失うのであります。 迷妄人間が求める個人としての強さは外部から寄せ集めた付属物への強さ依存であり、本来の自分自身に対する精神的な強さではありません。 身に付けた付属物への依存が剥がれ落ちると的面に心の脆弱さが顔を覗かせるのであります。 傲慢意識は依存症の末期症状であり、虎の威を借る狐の如く、強烈な外部依存への魂の歪み(捻じ曲がった傾向性)である。 自分で自分がしている普段の言動が分からないのであるなら、もう既に迷妄者の一人として魂の堕落を迎えているのです。 真人間の心が少しでも残っているのであれば、時折り過去を振り返って心の中を精査しながら魂の軌道修正を自発的に行なうはずであります。 人間は一人きりでは生きて行けない事実を、反省回顧を通して現代人は知るべきであります。 他者との協調が只自分の為の協調になっていないか…。 ボランティアが自分本位の人助けになっていないか…。 心を顧みる習慣が無ければ、こうした利己心にも気付けないのであります。 |