006 醜態の意味

 

人間が地上社会で生きると言うことは、複数の価値観に晒されると言うことであります。

自分一人きりの世界であれば生きる基準も自分流儀で良いが、社会は不特定多数の人間同士が共同生活を送る場所である。

当然の話で意見の相違に直面するし、遣り方や生き方の違いは紛争の火種に成り兼ねないのです。

複数の価値観には人格差からくる高下があり、現場に即した基準に於ける良否があるのです。

その時にプライドが高い人間は比較対象の優位を求めるが故に、高下の下に落ち着いたり良否の否に甘んじると、まるで生き恥を晒すような惨めな気持ちを味わうことになります。

現代人にとっての辱しめは比較対象の劣勢側にある訳ではなく、むしろ優勢側の驕り高ぶりの中に現れています。

人間の醜態は五毒(我欲・欺瞞、愚弄・下劣・傲慢)に侵された心にこそ現れるのです。

それは人として大切な心を見失った迷妄者の、歪んだ精神を自ら暴露している姿に映るのです。

何が正しいのか、何が間違っているのか、よく精査しないまま結果の優位性ばかりを求める小賢しさは、誠に恥ずべき思いと行為であります。

目に映る形態の醜さよりも、人目には付かない心の内面の醜さの方が、外目には隠蔽された深刻な事態を招いているのです。

自覚の無い悪醜態は腐った精神に気付くこともなく(気付かないから手加減もしない)、周囲の誰かを傷付けている事にも気付かないのです。

そちらの方が尚更に心が汚れ切っている状態であります。

謙虚さを身に付けている人間は羞恥心に苛まれることも多いけれども、その羞恥心は迷妄邪説の落とし穴から、良心を救う為の命綱的存在になっております。

他人に迷惑を掛ける行為は恥ずべき行為でありますが、もっと深刻な醜態は、他人には見えないと思っている自己自身の心の中で、他者批判や悪意悪口を積み重ねる性格の方が、誰からも見られていない(知られていない)と思い込んでいる分だけ、その隠蔽体質は救いようがないほど恥ずかしい醜態を精神世界に晒しているのです。

その心の内面の隠蔽醜態は霊界から総ての霊人たちが一部始終を見て知っているのです。

さらに自分の良心(守護霊)は全てをお見通しであって、本人以上に魂を痛めているのであります。

こうしたことから最悪の醜態は、心の中に悪意悪念を押し隠す偽善であり、形態を装飾で美化して威勢を張る傲慢であります。

 

 

 

39 霊性開示 【新創世記編】