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013 物欲 |
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人間は地上世界の物質文明の中に生きている以上、物理に具わる鈍重な波動に取り巻かれています。 物理とは固定化を安定とした物の道理であります。 強固な物体は崩れ難い安心感を与えてくれますが、物体であるが故に物の道理としての組成・安定・崩壊・離散を繰り返すのです。 こうした物理の法則に一定の法則性を与えるのが、人間の思念想念であり、この想像力(思念想念)の最たるものは創造主の御意志であります。 人間は神の子であるからこそ、想像力を活用して物の道理である物質化を果たせるのである。 それは愛に繋がる想像力(思念想念)であれば創造主の御意志に波長が合うため、物理法則も自由自在に扱えるようになります。 建設的な思考で事に当たれば人間は神の子であるからこそ可能性も無数に開かれている。 こうした神の子の自覚を見失ってはならないのです。 神の子の自覚を見失なうならば、迷妄人間の打算的思考は破壊混沌に向かうのであります。 物体に内包する真実の意義(存在価値)は想像力(思念想念)にあるのです。 その物が其の場所に、其のような形で存在する意義は必ずあるはずです。 その真実の意義を見い出さないまま物体の利便性ばかりを追求すれば、まさに物質は真価を失った形骸(使用物・利用物)と化すのであります。 形ある全ての物にも心がある。 その心と通い合えば、物質は其の形なりの自己表現で応えようと頑張るのです。 こうして物質としての価値は扱う人間の人格に呼応する…。 高貴な人格者は物の道理を弁えて適材適所に物質を活かして扱うが、低位な迷妄人間は物の道理が分からないまま中途半端に扱うのです。 そのため迷妄人間ほど既存物の存在を軽視して新しい物に飛び付き易いのです。 このような迷妄人間の物欲は留まるところを知らず、気が付くと(殆どは気が付かないが)同じような物が虚しく数を増やしているのであります。 つまり物欲は霊性を見失った人間の枯渇した精神状態を其のまま暴露している状態であり、真理を体得した社会人からすれば誠に恥ずかしい思いと行為なのです。 小さな子供が際限もなく玩具を欲しがる姿(衝動)を、社会人として大人になっても抑えられない姿(衝動)を辱めもなく繰り返している…。 やはり人間には社会人としての反省回顧(心の振り返り)も必要であります。 |