|
016 名誉欲 |
|
いま一つの精神欲求は名誉欲になります。 他人から良く見られたいとか、良い評価を得たいという思いは利己心の現れであります。 この利己心は心の奥底に潜むコンプレックスの裏返しであり、内部に隠し持つコンプレックスを人目に付かないように目を反らすための装飾(名声や誉れ)を欲しがるのである。 素のままの人間性では恥ずかしいということを、本来は自己自身が一番よく知っているのです。 その事実をよく知っているからこそ認めたくない衝動を懐くのであります。 優れた人間性を人知れず磨いている徳者たちは、自らの意志で努めて謙虚な姿勢を貫けますが、内なるコンプレックスを隠し持つ迷妄者たちは、煌びやかな装飾を欲しがるのであります。 努力精進を度外視して結果のみを欲しがるようになると、世間体は誰よりも気にしながらも姑息な手段で名声を得ようと画作するのです。 また良い評価ばかりを求めて視野が狭くなると、他人を不幸に陥れたり、純朴な人間を利用してでも良い評価を得ようとします。 本来の人間の評価は形ではなく、魂の豊かさや心の柔軟性にあります。 結果は物質世界の副産物であり、経過は精神世界の流動物であり、原因は心的世界の依存物であります。 人間世界の名誉は結果論としての名声に成りつつあります。 結果のみを名誉とするなら、後から作られた偽物の名声も街を闊歩(独り歩き)することになるでしょう。 本来の名誉は精神活動の渦中にこそ実在するのです。 従って地上世界の形に拘る名誉欲は自己満足の意識であり、形の良し悪しに拘り囚われる人間が、見た目の誉れを得んとして美しい装飾を身に付けたがるのである。 もともと総ての人間は神の子であるが故に、既に総ての誉れを与えられているのであります。 魂の御祖である創造主にこそ喜んで致だければ、それだけで魂には深い充実感が満ち足りるのです。 人間が作った邪まな評価を喜んでいるのは名誉欲に釣り上げられた小魚の心境であります。 中途半端な栄華を喜ぶ前に、本来の謙虚な自分を取り戻す貴方であれ…。 魂の御祖である創造主にこそ喜んで致だける貴方であれ…。 |